今年のマッセアトゥーラは、「コットンスーツの当たり年」だった。

「生地は生きているから生地と呼ぶ」や

「生地は生まれたての地」なんて言葉がぴったりのコットン。



出来たてのコットンスーツより、着込んだ方が断然格好いい。

ラペルやポケットのあたり、また肩のあたりのステッチにシワが入り、

シワの「山」の部分に「アタリ」が出て、それが「アジ」になる。



そのためにも選ぶコットンは「ギャバジン」や「ツイル」のような張りと

腰のある生地を選びたい。



着込んだときに「味」ではなく「みすぼらしさ」が出ると困るから。。

張りと腰のある生地ならそうはならずに、段々と着手に馴染む。

そしていい年のとり方をする。。



僕の持っているコットンスーツはカーキ色のギャバジンと

ブルーのシャンブレー、それにコードレーンがある。



いい皺が出て、いい色に焼けて、どれも僕の身体に馴染んでいる。

僕は高校が私服だったので、その時に買ったものだ。

会社に入った頃までは着ていた記憶がある。



久々にクローゼットから出してみると、やけに新鮮。

どれも裾幅は詰めまくって19センチ程度しかなく、それもダブル。

センターベントに3Bの段返りのスタイルが多い。

そうアイビーってゆーか、アメリカンスタイルだ。

靴は当時トップサイダーの白いデッキシューズを履いていた。

今のようにインナーソックスがなかったから、手入れが大変だった。



ネイビーのリネンジャケットも出てきた。これは今でも年に数回は着ている。

これもアタリが出て、いい感じにクタッとなっている。



しかし、残念なことがある。

太りさえしなければ、、、どれもいい感じで着ることが出来るのに。。。

スーツが育っても、お腹まで育つと、、、着れないです。

みなさんご注意下さいね(笑)











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2002年5月23日19:30~

大阪心斎橋の会員制リゾートレストラン『24℃』にて

顧客の皆さまにご参加頂き、ワインのテイスティング会を開きました。

何と、58名の方にお集まり頂きました。皆さま、どうもありがとうございました!



マッセアトゥーラは、お客さま同士、

顔を合わられる事が、ほとんどありませんから、

お客様同士の交流の機会、そして装いを楽しむ事を目的として

今回のワイン会を企画し、皆さまに楽しんで頂けたらとの思いで開催に至りました。



色々なご意見ご感想もあると思いますが、

皆さまのお陰で、充実した楽しいワイン会になったと思います。

ご参加頂いた皆さまに感謝すると共に、元タカラジェンヌがオーナーの『24℃』さん、

WINEインポーターのパンノンコーポレーションさん、

リーガロイヤルホテル大阪のソムリエさん、皆さま、心から、「ありがとうございました!!」



今回を機に、今後も、

このような機会が持てるといいなぁと思います。





ここで「ブッフェ」について、

パンノンコーポレーションの田中さんよりご説明を頂いたので、

少しだけ、ご紹介させていただきますね。



◇ブッフェとは

  フランス語で「食器棚」という意味。

  14~16世紀ごろ、王侯貴族が催す晩餐会では、

  会場の大広間に「ブッフェ」と呼ばれる飾り棚が置かれ、

  金銀の食器が飾られ、水やワイン等のサービスにも使われました。

  一般家庭では手狭のため、ブッフェを使ってセルフサービスのパーティーに代わりました。



◇ブッフェのはじまり

  歴史的には16~18世紀の貴族社会の会食のスタイルが始まり。

  2つのパーティースタイルがあります。

  ・アンビギュ:冷肉、デザートからなる盛り合わせの夜食。

   …日の沈む頃から始まる。

  ・コラシオン:甘いものを主体にした軽食。

   …午後か晩。



◇現在のブッフェのマナー

  ・パーティーの主旨にあった服装で参加する。

   特に靴、バックに気を配りましょう。

   バックは中世から、ブッフェパーティーには小さい物、と決められています。

  ・昼間のパーティーは宝石は控えめにしましょう。

  ・会話を楽しみ事が趣旨なので、まず主催者に挨拶をし、

   食事を進めながら出席者と会話を楽しむよう心がけましょう。

  ・グラスやお皿、ナプキンは常に手に持ちながら、会話を楽しみましょう。

   特に場所を移る時は、誤って置いたまま移動してはマナー違反です。

  ・空腹で出席しないようにしましょう。

  ・お皿の上にグラスを乗せて持ち、片手は必ず空けておきます。

  ・オードブル、メイン、デザートの順に戴いて下さい。

  ・メインテーブルの周りには立たないこと。

  ・料理や飲み物をとったら、

   次の人の為にテーブルから離れるよう心掛けましょう。

  ・いち度にたくさんん取らない。まして食べ残しはマナー違反です。



以上のような事が、一般に言われています。

これくらいの最低マナーだけでも会得していないと、

欧米の方とブッフェスタイルの食事(パーティー)でご一緒するのは

恥ずかしいかな?という感じです。何より場数を踏むことが先決、だと思います。

どんどんパーティーに参加しましょう!!






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ヘンリープールを知っていますか?



背広の語源とも言われている、

英国「サヴィル・ロー」(背広)に店を構える歴史的なテーラーです。



創業は1802年。

顧客には、日本では昭和天皇を初め、白州次郎、吉田茂、伊藤博文らが。

そして海外ではヴィクトリア女王を初め、

ウィンストン・チャーチル、ナポレオンⅢ世、J.P.モルガンらが顧客に名を連ねます。

ただしヘンリープールでは、

原則として既存の顧客(生存中)は名前を公表されていません。



そんなヘンリープールの次期社長、サイモン氏との日本市場向け新ライン打合せの後、

工房内を、カッターのデイヴィット氏の丁寧な説明で案内してもらいました。



彼は、元ティモシーエベレストのカッターとして働いていたそうです。

そして2年前に、より確かな技術を学ぶためにヘンリープールに移ってきたそうです。

腕には1970年製のオメガスピードマスターが、こだわりです。



店内は、入ってすぐに応接スペースがあります。

ここで各担当カッターが採寸し、どんなスーツを作るのかが話し合われます。



多くのバンチ見本から、お気に入りの生地を選んだ顧客は、

その後、裏地とボタンの色くらいは選ぶが、基本的にはお任せが多いとか。



その後、店舗の奥にある裁断場で採寸値に合わせて型紙が引かれ、生地が裁断されます。



最後に、生地に合った「肩・胸馬斯」「垂れ綿」「裏地」「釦」「縫い糸」などがセレクトされ、

裁断後の生地と共に、ひとまとめにされます。

ヘンリープールでは基本的には、ここまでがカッターの仕事です。



パンツは建物の地下で作業するパンツ専門の職人に回され、

ジャケットは、2~5階のジャケット専門の職人が縫い上げていきます。



ヘンリープールでは1人の職人が1着を〝丸縫い〟します。

毎回バラツキが出ないように、1人の顧客には、

最初に担当したカッターや職人が、後々も担当する事になります。

ただ生地によっては、職人さんの得手不得手があるので、

例外として、得意な生地毎にバランスよく割り振る場合もあるそうです。



ヘンリープールの工場内から、ミシンの音は聞こえません。

職人さんが黙々と針を走らせています。

少しでも明かりを採ろうと、みんな机の上に座って作業をしています。

この人達の職人技が、本場英国のビスポークスーツを支えているのかと思うと、

「いつまでも元気で頑張って下さいね」という思いになります。



日本でもいい職人さんは沢山いらっしゃるのに、

仕事がなく(売れず)、その技術を受け継ぐ若者もほとんど居ず、

洋服だけでなく、モノづくりの、どの業界も衰退の一途をたどるばかりです。

消費経済の流れに負けて、

伝統や文化が失われて行く世の中を見守っているしかないのでしょうか。



大量生産・大量消費は経済成長の為には必要な事かもしれませんが、

必要以上に進んでいると思えてならない今の日本を見て、

英国人の古きを守り、大切にするスタイルは真似るべき点は多いと思います。

せっかく物真似の得意な日本人なんだから、

こんな部分も見習って欲しいですね。



今のままだと、日本文化を完全に見失ってしまう時期はそう遠くない気がします。




イタリアへ行って、ある商社に就職内定の決まった

大学生のS君と出会った。

彼とはナポリのサンタルチア港で出会って以来、

ローマでさらに偶然に2度も再会した。



彼と話してる内に、すごく嬉しい言葉を彼の口から聞いた。



「僕も働き出したらイタリア人みたいにビシッとスーツを着たいんですよね。」



「ヨレッとしたスーツを着てたら、

 心までヨレッとしそうな気がするじゃないですか。。」



「どうしてイタリア人ってみんなあんなにパリッとしてるんですかね?」



彼が多くの日本人が着ているスーツと比べて言ってることは

すぐに察しが付いた。

S君はその理由は分からずとも、それが感覚で分かってる、、

そう思うだけで嬉しくなった。

ナポリ男の着てるスーツを見てきたS君の目には、

その格好良さが特に焼き付いたんだと思う。



その後、S君に伝えた内容を一部だけ書き出してみる。。



「イタリア人は胸でスーツを着てるから胸元がパァーんと張っている。

 だからパリッと見えるんじゃないかなぁ。」



「イタリア人はスーツを格好良く着こなすために

 体(特にバスト)を鍛えてる位だからね。

 まぁ、元々の骨格も違うけど。」



「イタリア人はそれが分かってるから何でもタイトに

 ジャストサイズを着るんだと思うよ。」



S君に話しながら、僕が高校時代によく通ったお店の店長から、

そういう話を聞いた事を思い出した。

「アルマーニの店員なんか休憩中に鉄アレーで胸筋を鍛えてるぞ!」

「ラコのポロシャツでもパツパツを着て、鍛えた体をアピールしまくりや!」



僕はその店長の言葉に影響を受け、

パツパツのフレンチラコのポロシャツのボタンを全部外し、

胸にスコォォォーンとハマる麻の濃紺のジャケットを着て、

颯爽とヴェスパを転がし、高校へと通ったものだ。

思えば当時はセニョール気取りだったなぁ(爆)



僕の過去の栄光?話にそれたから元に戻すと。。。



みなさんのスーツは本当に体に合ってますか?

ウエストやパンツ丈、袖丈や着丈。

これだけで体に合ってると勘違いしていませんか?

基本はバストです!!



いま一度、鏡に映った自分の姿を見て下さい。

僕は自分の姿を見て吹き出しましたが、、、

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19世紀後半~1960年代まで作られた『Dobcross Loom』という織機をご存知ですか?
低速で、手間と時間をかけて生地を織る英国古来の織機(ルーム)で、
英国北部にあるドブクロス村で作られたことに由来して、
『ドブクロスルーム』と名付けられました。

このLoom(織機)で織られた生地を『Dobcross(ドブクロス)』と呼びますが、
これは『Holland&Sherry(ホーランド&シェリー)』の登録商標。
この織機で織られた生地は、ウール本来の柔らかな風合いと弾力性に富んでいます。

緯糸(ヨコ糸)を、木製のShuttle(シャトル)で、
1分間に100ピック(往復)の速さで丹念に打ち込んでいきます。
この速さでは、1日にたったの0.5反しか織れません。(1反は約50メーター)

織機本体もさることながら、動いてる〝サマ〟は圧倒的な存在感を醸し出しています。
音の存在感も凄くて、工場に入るには耳栓着用が義務付けられてる位です。

現在は技術も進み、この低速のドブクロス織機から段々と高速化され、
『レピア織機』や『ズルツァー織機』、さらには、
ジェットエアーによって超高速で糸を送る『ジェット織機』へと進化を続けています。

これらの織機は、1分間で400ピックの速さで緯糸(ヨコ糸)を打ち込みますから、
ドブクロスルームの4倍の早さで、1日に2反を織れる事になりますね。

エアージェット織機になると、1分間に600ピックですから、
ドブクロスの、実に6倍というスピードになります。
そうなると、何と1日に3反も織れます。

ただ、エアージェット織機は、
単純な組織構成の生地を織る事には適していますが、
複雑な組織の生地を織る場合は、今でも低速織機で織られています。
あと、ドイツで開発された『ショーンヘル』という織機ですと、
これはドブクロス織機よりも若干新しい機械で、
それでも1分間に120ピックです。

緯糸(ヨコ糸)の打ち込み速度が高速になればなるほど、
糸にかかるテンションが強くなり、ウール本来の弾力性や風合いは損なわれます。
最近では織り上がった後のフィニッシング(仕上げ・整理)が進んで、
見た感じや触った感じは、パッと見は同じようですが、
表面的に加工したものと、本来持つ特性がそうであるものとでは、
着込んで行った時に差が出てくるでしょうね。

今回訪問したミル(機屋)は、
元々はテイラーリトルウッドと云うミルで、
それを、ホーランド&シェリー社が買収したものです。
現在の正式名は、そのまんま『Dobcross Weaving Company』といいます。
そこにはドブクロスルームが14台(2002年春現在)と、
見本反用ハーフ巾のルームが1台あり、ほとんどが5~60年前の物だそうです。
そして、織機の生産自体も30年程前に終了しているとの事でした。
工場を案内してくれた工場長のKen氏は、
廃業するミルから、古いドブクロス織機を買い取ってきては、
徐々にその数を増やしているそうですから、そうなると、もうマニアですね!
工場の隅っこには〝部品取り車〟さながら〝部品取り織機〟が何台も置かれていましたからね。

皆さんは、最新の技術を使ったスーパ180’Sや150’Sといった〝ハイテク〟な生地と、
クラシカルな手法で織られた、手の温もりのある〝ローテク〟な生地、
どちらを選ばれますか?


Nile's NILEにマッセアトゥーラが掲載!
[ Nile’s NILE 2002/04号 2002/03発売 ]
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アラブの国(その1)の続きです。

アラブと聞くと、テロをはじめ、何か怪しげなイメージを持つ人が多いと思います。

でも実際行ってみた感想は、、かなり穴場です。



アジア旅行で痛い目に遇った人、

ヨーロッパで人との触れ合いに寂しさを感じた人、、

アラブを旅行すると、必ず満足できるんじゃないでしょうか!(笑)

ただアラブ人は、ちょっと親切が度を越えて、お節介過ぎる部分はあります。

そりゃ、中には悪い人もいるかもしれませんが、悪い人に出会ったことがありません。



道を歩いていると声がかかります。もちろんアラビア語。

訳も分からずに近寄って行くと、「お茶を飲んでけ!」と言う。(言ってると思う)



ちょっと道を聞こうものなら、質問責めに遭います。

「どこから来た?」「シリアはどうだ?」「宗教は何だ?」「結婚はしてるのか?」「子供は何人だ?」

「車は持っているのか?」「仕事は何だ?」「俺の家に遊びに来い!!」

1時間くらい、あっという間に経ってしまいます。



アラブ人の時間の感覚に合わせてると、

あっちこっちで話してばかりになって、前に進めません。

予定の半分どころか、コミュニケーションだけで終わってしまいそう。

でも僕は、そんな人懐っこいアラブ人の親切を無視?して、かなり歩き回りました。



パルミラ遺跡では、日没のアラブ城に登り、夜はベドウィンのテントを訪問し、

そこからクラック デ シュバリエ遺跡ハマアパメア遺跡を通って、

ダマスカスに次ぐシリア第二の都市、アレッポに向かった。

更にそこから、ローカルバスを乗り継いで、

地中海沿いの町ラタキアサラディーン城タルトゥースと回ってダマスカスに入り、

そのまま南下して国境を車で越え、ヨルダンを目指した旅の結末は。。



ヨルダン観光は実現せず、レストランでの食事と、アンマンの夜景だけでした。



ん?どうしてか??

当初、映画「インディージョーンズ」で有名なペトラ遺跡とか、

アラビアのロレンスで有名な、アカバで紅海ダイビングをしようと考えていたのですが、

シリア人の優しさに邪魔?されてる間に、時間がどんどん流れていきました。

シリアでは、本来ゆっくり流れてるハズの時間が、

こういう時に限って早いんですよね~。



いいんです、、

シリア時間に身を任せた旅、

ダマスカスからアンマンまでの相乗りタクシーでは、

シリアの日本大使館の人(シリア人)から見た、日本人の良さや面白い部分、

イラクのおばあちゃんからは、イラクの生の生活が聞けたり、、

それはそれは充実した旅でしたから。










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ダマスカス空港で一夜を過ごした僕は、

暗い間に空港を出発し、砂漠を突っ切るいっぽん道を古代遺跡パルミラへと向かった。

さぁ、これから中東の国アラブなる未知の国を旅するのだ。



パルミラは、ヨーロッパ・アジア・アフリカの3大陸を結ぶ要衝にあり、

古来交易の場(キャラバンサライ)として栄え、

当時は、無敵のローマ帝国を敵に回す程の権勢を誇った中東4大遺跡の1つである。



この地を巡り、様々な民族が侵略を繰り返したせいか、

パルミラばかりか、シリア全体が世界でも群を抜く、見事で広大な遺跡の宝庫となっている。



町中いたるところで、高らかに響くアザーン(祈りの呼び掛け)の声を聞きながら、

その残照の中で佇んでいると、煙草の煙の向こう側に古代人が現れる。

それはまさに、、アラビアンナイトの世界である。

僕に知識があれば、空想はとめどもなく、もっとリアルに広がるんだろうけど。



そうした時間を過ごしていると、

日本で、時間と隣り合わせの生活をしている自分に疲れを感じてしまう。

この国にいると、遊牧生活を営んできた民族(ベドウィン)の国だからなのか、

なんだか、のんびりした気分になってくる。



人間らしい暮らしって何?

物が豊かなこと?



ここシリアには、今なお人間らしい暮らしが存在している気がする。

そして、豊かな心のゆとりを感じる。

それこそ、太古の昔から人間が営み続けてきた生活そのものの姿だと思う。

「日本も昔はこうだったんだろうな~」そう思うと、なんだか余計に寂しくなってくる。



アラブ人と接していると、たまには「しつこい!」と感じる。

そして「うるさい!」と感じることもある。



でも人間らしさを感じるのは何故?



アラブの政治体制は王政・軍政・社会主義共和政と様々なのに、

生活様式は欧米に比べて均質であると聞く。

これはアラブ人は同じ信仰と価値感を共有しているからだとも言われているそうだ。

アラブ社会は保守的であり、和を重んじる民族である、という事だろう。



また欧米人は、客観的に物事を判断できるのが大人だ、という考え方をする。

逆にアラブ人は、主観的で感情的な奴が人間だ、という考えである。

だからアラブ人からすると、「欧米人は何を考えているのか分らない!」となるんだろう。



とすると、、僕はアラブに生まれたら大成するタイプの人間だ。(笑)

「神よ!来世はアラブの国に生を与えたまえ!!」 けっこう本気だったり。(爆)



インシャアッラー

神の思し召すままに





アラブ・・・西アジア~アフリカ大陸の北部一帯を覆う広大な地域。

      アラブ20カ国とパレスチナを含めると、何と21カ国にも及んでしまう。

      ちなみにイランはイスラムの国だが、アラブではない。

      一方、イラクはアラブの国で、アラブ連盟の加盟国でもある。