先日、名古屋のTさんが漫画をプレゼントして下さいました。

その名も「王様の仕立て屋」です。



僕がいつも皆さんに話してるような事が書いてあるという事で

下さったのですが、読んでみたら、これが面白いんです。



かなり、本気モードの内容なんです。

最初、解剖学から始まるなんて、、

どこかで聞いたお話ですよね(笑)。



お店に置いてありますので、みなさん是非読んでみて下さい。

Tさん、有難うございました。




[ 我が愛車、ブルドーザーカラーの「PX200BME」 ]
[ 谷瀬の吊橋をバックにして。]

[ 谷瀬の吊橋に向かう途中での1ショット ]
[ 吉野の山間を抜ける国道168号線は、土と緑の匂いがする。奈良の五条から和歌山の新宮まで抜ける。]

ツーリング当日、朝8時30分、阪神高速三宅インター前に集合!
奈良県十津川村にある日本最大『谷瀬の吊橋』までの100㌔を参加車輌ベスパ10台、
それにフィアットパンダ1台で走りました。
*谷瀬の吊橋レポートも当コーナーにあるので、見て下さいね!

参加は、ほとんどが「PX200」というベスパの最大排気量。
僕は高校2年から乗ってますが、このバイク、本当に面白いんです。
国産の250ccのオフロードや400ccレプリカも何度か乗ったことはありますが、
僕は、やっぱりベスパが面白い!

絶対的なパワーがない分、スピードは出ないけれど、乗ってて楽しいし、何と言っても、
味があります。エンジン回転をレッドゾーンに入れて走る快感!?
絶対的なスピードより、操る楽しさ?みたいな。

そりゃあ、今のバイクはよく走ります。
誰が乗っても、同じようにスームーズに走りますよね。
ベスパは慣れてない人なら、エンジンすらかからないかもしれません。
暖機運転をしないと、エンジンの回りが鈍かったり、まるで生きているようです。
バイクと対話をしながら、また機嫌を伺いながら、Vespaにはそうやって乗る楽しみがあります。
最初は「ローマの休日」でベスパを見て、憧れだけで乗り始めたのですが(格好だけ!)
これが乗り始めたら楽しいのなんのって、、、

あっ、ごめんなさい、、
ベスパの宣伝してましたね、、
ツーリングレポート、ツーリングレポート。

待合せの大阪松原市から
国道とは名ばかり?曲がりくねった険しい山道を、
ベスパ特有の「左グリップのギヤチェンジ」を駆使しながら、
ベスパ特有の小気味よいエギゾーストノートを吉野の山々に響かせながら登っていく。

前を走ってる車体を見ると、
車体の底を擦りそうな位に倒しながら、
カーブをヒラリヒラリとかわして走り抜けてゆく。
時速50キロ程だけど、バンク角はまるでGPレースさながらか!?(笑)

途中、大型バイクに何度も抜かれながら、僕達はのんびり、ゆったり、、、
でも、それはスピードだけで、実は必死に走りこんでる?んですけどね(笑)

1カーブ1カーブを大切に楽しみながら風を感じながら、
気が付けば、もう谷瀬の吊橋に着いてました。

谷瀬の吊橋の下にある河原でBBQをしたのですが、この肉が美味い。
バイクを通じて知り合った仲間たちとは、年齢も職業もみんなバラバラの付き合い。
ダイビングと同じで、何でも趣味の世界で集まってくる人たちって、どこか共通の価値観が
あったり、それでいて一人一人個性があるから楽しいですよね。

楽しい1日でした、、みなさんありがとうございました!
[ ルノーのカングーとパンダも参加。といいながら、実はBBQセット運搬!?(笑) ]
[ Beerが飲めないのが辛い、、、 ]




[ 谷瀬の吊橋は「美しさ」も日本一だと思う。 ]





[ 20人以上!?  渡ってるやん! ]



日本一面積の広い村、奈良県十津川村にある、これまた歩行用としては、

日本一長い〝谷瀬の吊橋〟に、ベスパ仲間達とツーリングに行きました。



距離にして大阪から片道約100キロ、ちょうど日帰りにはいい距離。



その規模は、日本一の規模、長さ297m、高さ54mだそうです。

確かに渡ろうとするとスリル満点で、中には途中で動けなくなる人もいるそうです。



僕は途中で止まったりゆっくり歩いたりすると、かえって恐いから、一気に渡ろうと

走ったら、管理のおじさんに叱られました。(ごめんなさい)

でも、途中で揺らすとかなりのスリルでしたよ。(またまたおじさん、ごめんなさい)

ってゆーか、揺らしてる僕は怖いのか?怖くないのか??、どっちなんでしょうね。

強風の日は、縦揺れ横揺れ! 以前、風の強い日に行ってエライ事になりました。

度胸のある方は台風の日にどうぞ!(笑)





[ 遠くから見るとまるで人が浮いているように見える!? ]





[ 橋の両側は金網になっていて、結構怖いものがある。橋の中央部も木製で、隙間から下が見える。

 所々、木が割れていて恐怖心をより一層あおる。 ]






こんな橋も、地元の人たちは、ココをバイクで突っ走るんですよ。

前に来た時に、おばちゃんが平気でブーンって、カブで走ってゆくのを見たことが

あります。

郵便屋さんの赤カブも、スーイスイだそうですよ。(これは見たことないです)

それにそれに、、ここは通学路でもあるのです、、怖いっ。



橋が掛けられたのは昭和29年。元々は生活用として作られたものが、今はその

スリルからか、観光名所になっています。



周りは吉野の山々に囲まれ、ここから1時間以内には温泉地がたくさんあります。

でもその1時間は、、曲がりくねった林道のような狭い道です。

酔いやすい人は、酔い止めを忘れずに、、、



それと、夜は真っ暗、運転に自信のない人は気をつけて、、、僕はよく、京都から

ここを通過して、ダイビングの為、串本に向かいますが、かなりの山道に始めての

人はビックリ。途中、何回も車を停めて吐く人がいるくらいです。



こんな山道に、緑の香り、しっとりとした土の匂いを楽しみに、出掛けられてみては

いかがですか?

大阪から片道約100㌔と、ちょうどいい距離ですから、、





[ 注意書き、、地元の人はバイクでも渡れる。 ]





[ 日本一の基準は何なのだろうか、、高さ?長さ?調べたが分らなかった、、 ]

今年のマッセアトゥーラは、「コットンスーツの当たり年」だった。

「生地は生きているから生地と呼ぶ」や

「生地は生まれたての地」なんて言葉がぴったりのコットン。



出来たてのコットンスーツより、着込んだ方が断然格好いい。

ラペルやポケットのあたり、また肩のあたりのステッチにシワが入り、

シワの「山」の部分に「アタリ」が出て、それが「アジ」になる。



そのためにも選ぶコットンは「ギャバジン」や「ツイル」のような張りと

腰のある生地を選びたい。



着込んだときに「味」ではなく「みすぼらしさ」が出ると困るから。。

張りと腰のある生地ならそうはならずに、段々と着手に馴染む。

そしていい年のとり方をする。。



僕の持っているコットンスーツはカーキ色のギャバジンと

ブルーのシャンブレー、それにコードレーンがある。



いい皺が出て、いい色に焼けて、どれも僕の身体に馴染んでいる。

僕は高校が私服だったので、その時に買ったものだ。

会社に入った頃までは着ていた記憶がある。



久々にクローゼットから出してみると、やけに新鮮。

どれも裾幅は詰めまくって19センチ程度しかなく、それもダブル。

センターベントに3Bの段返りのスタイルが多い。

そうアイビーってゆーか、アメリカンスタイルだ。

靴は当時トップサイダーの白いデッキシューズを履いていた。

今のようにインナーソックスがなかったから、手入れが大変だった。



ネイビーのリネンジャケットも出てきた。これは今でも年に数回は着ている。

これもアタリが出て、いい感じにクタッとなっている。



しかし、残念なことがある。

太りさえしなければ、、、どれもいい感じで着ることが出来るのに。。。

スーツが育っても、お腹まで育つと、、、着れないです。

みなさんご注意下さいね(笑)











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2002年5月23日19:30~

大阪心斎橋の会員制リゾートレストラン『24℃』にて

顧客の皆さまにご参加頂き、ワインのテイスティング会を開きました。

何と、58名の方にお集まり頂きました。皆さま、どうもありがとうございました!



マッセアトゥーラは、お客さま同士、

顔を合わられる事が、ほとんどありませんから、

お客様同士の交流の機会、そして装いを楽しむ事を目的として

今回のワイン会を企画し、皆さまに楽しんで頂けたらとの思いで開催に至りました。



色々なご意見ご感想もあると思いますが、

皆さまのお陰で、充実した楽しいワイン会になったと思います。

ご参加頂いた皆さまに感謝すると共に、元タカラジェンヌがオーナーの『24℃』さん、

WINEインポーターのパンノンコーポレーションさん、

リーガロイヤルホテル大阪のソムリエさん、皆さま、心から、「ありがとうございました!!」



今回を機に、今後も、

このような機会が持てるといいなぁと思います。





ここで「ブッフェ」について、

パンノンコーポレーションの田中さんよりご説明を頂いたので、

少しだけ、ご紹介させていただきますね。



◇ブッフェとは

  フランス語で「食器棚」という意味。

  14~16世紀ごろ、王侯貴族が催す晩餐会では、

  会場の大広間に「ブッフェ」と呼ばれる飾り棚が置かれ、

  金銀の食器が飾られ、水やワイン等のサービスにも使われました。

  一般家庭では手狭のため、ブッフェを使ってセルフサービスのパーティーに代わりました。



◇ブッフェのはじまり

  歴史的には16~18世紀の貴族社会の会食のスタイルが始まり。

  2つのパーティースタイルがあります。

  ・アンビギュ:冷肉、デザートからなる盛り合わせの夜食。

   …日の沈む頃から始まる。

  ・コラシオン:甘いものを主体にした軽食。

   …午後か晩。



◇現在のブッフェのマナー

  ・パーティーの主旨にあった服装で参加する。

   特に靴、バックに気を配りましょう。

   バックは中世から、ブッフェパーティーには小さい物、と決められています。

  ・昼間のパーティーは宝石は控えめにしましょう。

  ・会話を楽しみ事が趣旨なので、まず主催者に挨拶をし、

   食事を進めながら出席者と会話を楽しむよう心がけましょう。

  ・グラスやお皿、ナプキンは常に手に持ちながら、会話を楽しみましょう。

   特に場所を移る時は、誤って置いたまま移動してはマナー違反です。

  ・空腹で出席しないようにしましょう。

  ・お皿の上にグラスを乗せて持ち、片手は必ず空けておきます。

  ・オードブル、メイン、デザートの順に戴いて下さい。

  ・メインテーブルの周りには立たないこと。

  ・料理や飲み物をとったら、

   次の人の為にテーブルから離れるよう心掛けましょう。

  ・いち度にたくさんん取らない。まして食べ残しはマナー違反です。



以上のような事が、一般に言われています。

これくらいの最低マナーだけでも会得していないと、

欧米の方とブッフェスタイルの食事(パーティー)でご一緒するのは

恥ずかしいかな?という感じです。何より場数を踏むことが先決、だと思います。

どんどんパーティーに参加しましょう!!






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ヘンリープールを知っていますか?



背広の語源とも言われている、

英国「サヴィル・ロー」(背広)に店を構える歴史的なテーラーです。



創業は1802年。

顧客には、日本では昭和天皇を初め、白州次郎、吉田茂、伊藤博文らが。

そして海外ではヴィクトリア女王を初め、

ウィンストン・チャーチル、ナポレオンⅢ世、J.P.モルガンらが顧客に名を連ねます。

ただしヘンリープールでは、

原則として既存の顧客(生存中)は名前を公表されていません。



そんなヘンリープールの次期社長、サイモン氏との日本市場向け新ライン打合せの後、

工房内を、カッターのデイヴィット氏の丁寧な説明で案内してもらいました。



彼は、元ティモシーエベレストのカッターとして働いていたそうです。

そして2年前に、より確かな技術を学ぶためにヘンリープールに移ってきたそうです。

腕には1970年製のオメガスピードマスターが、こだわりです。



店内は、入ってすぐに応接スペースがあります。

ここで各担当カッターが採寸し、どんなスーツを作るのかが話し合われます。



多くのバンチ見本から、お気に入りの生地を選んだ顧客は、

その後、裏地とボタンの色くらいは選ぶが、基本的にはお任せが多いとか。



その後、店舗の奥にある裁断場で採寸値に合わせて型紙が引かれ、生地が裁断されます。



最後に、生地に合った「肩・胸馬斯」「垂れ綿」「裏地」「釦」「縫い糸」などがセレクトされ、

裁断後の生地と共に、ひとまとめにされます。

ヘンリープールでは基本的には、ここまでがカッターの仕事です。



パンツは建物の地下で作業するパンツ専門の職人に回され、

ジャケットは、2~5階のジャケット専門の職人が縫い上げていきます。



ヘンリープールでは1人の職人が1着を〝丸縫い〟します。

毎回バラツキが出ないように、1人の顧客には、

最初に担当したカッターや職人が、後々も担当する事になります。

ただ生地によっては、職人さんの得手不得手があるので、

例外として、得意な生地毎にバランスよく割り振る場合もあるそうです。



ヘンリープールの工場内から、ミシンの音は聞こえません。

職人さんが黙々と針を走らせています。

少しでも明かりを採ろうと、みんな机の上に座って作業をしています。

この人達の職人技が、本場英国のビスポークスーツを支えているのかと思うと、

「いつまでも元気で頑張って下さいね」という思いになります。



日本でもいい職人さんは沢山いらっしゃるのに、

仕事がなく(売れず)、その技術を受け継ぐ若者もほとんど居ず、

洋服だけでなく、モノづくりの、どの業界も衰退の一途をたどるばかりです。

消費経済の流れに負けて、

伝統や文化が失われて行く世の中を見守っているしかないのでしょうか。



大量生産・大量消費は経済成長の為には必要な事かもしれませんが、

必要以上に進んでいると思えてならない今の日本を見て、

英国人の古きを守り、大切にするスタイルは真似るべき点は多いと思います。

せっかく物真似の得意な日本人なんだから、

こんな部分も見習って欲しいですね。



今のままだと、日本文化を完全に見失ってしまう時期はそう遠くない気がします。




イタリアへ行って、ある商社に就職内定の決まった

大学生のS君と出会った。

彼とはナポリのサンタルチア港で出会って以来、

ローマでさらに偶然に2度も再会した。



彼と話してる内に、すごく嬉しい言葉を彼の口から聞いた。



「僕も働き出したらイタリア人みたいにビシッとスーツを着たいんですよね。」



「ヨレッとしたスーツを着てたら、

 心までヨレッとしそうな気がするじゃないですか。。」



「どうしてイタリア人ってみんなあんなにパリッとしてるんですかね?」



彼が多くの日本人が着ているスーツと比べて言ってることは

すぐに察しが付いた。

S君はその理由は分からずとも、それが感覚で分かってる、、

そう思うだけで嬉しくなった。

ナポリ男の着てるスーツを見てきたS君の目には、

その格好良さが特に焼き付いたんだと思う。



その後、S君に伝えた内容を一部だけ書き出してみる。。



「イタリア人は胸でスーツを着てるから胸元がパァーんと張っている。

 だからパリッと見えるんじゃないかなぁ。」



「イタリア人はスーツを格好良く着こなすために

 体(特にバスト)を鍛えてる位だからね。

 まぁ、元々の骨格も違うけど。」



「イタリア人はそれが分かってるから何でもタイトに

 ジャストサイズを着るんだと思うよ。」



S君に話しながら、僕が高校時代によく通ったお店の店長から、

そういう話を聞いた事を思い出した。

「アルマーニの店員なんか休憩中に鉄アレーで胸筋を鍛えてるぞ!」

「ラコのポロシャツでもパツパツを着て、鍛えた体をアピールしまくりや!」



僕はその店長の言葉に影響を受け、

パツパツのフレンチラコのポロシャツのボタンを全部外し、

胸にスコォォォーンとハマる麻の濃紺のジャケットを着て、

颯爽とヴェスパを転がし、高校へと通ったものだ。

思えば当時はセニョール気取りだったなぁ(爆)



僕の過去の栄光?話にそれたから元に戻すと。。。



みなさんのスーツは本当に体に合ってますか?

ウエストやパンツ丈、袖丈や着丈。

これだけで体に合ってると勘違いしていませんか?

基本はバストです!!



いま一度、鏡に映った自分の姿を見て下さい。

僕は自分の姿を見て吹き出しましたが、、、







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アラブの国(その1)の続きです。

アラブと聞くと、テロをはじめ、何か怪しげなイメージを持つ人が多いと思います。

でも実際行ってみた感想は、、かなり穴場です。



アジア旅行で痛い目に遇った人、

ヨーロッパで人との触れ合いに寂しさを感じた人、、

アラブを旅行すると、必ず満足できるんじゃないでしょうか!(笑)

ただアラブ人は、ちょっと親切が度を越えて、お節介過ぎる部分はあります。

そりゃ、中には悪い人もいるかもしれませんが、悪い人に出会ったことがありません。



道を歩いていると声がかかります。もちろんアラビア語。

訳も分からずに近寄って行くと、「お茶を飲んでけ!」と言う。(言ってると思う)



ちょっと道を聞こうものなら、質問責めに遭います。

「どこから来た?」「シリアはどうだ?」「宗教は何だ?」「結婚はしてるのか?」「子供は何人だ?」

「車は持っているのか?」「仕事は何だ?」「俺の家に遊びに来い!!」

1時間くらい、あっという間に経ってしまいます。



アラブ人の時間の感覚に合わせてると、

あっちこっちで話してばかりになって、前に進めません。

予定の半分どころか、コミュニケーションだけで終わってしまいそう。

でも僕は、そんな人懐っこいアラブ人の親切を無視?して、かなり歩き回りました。



パルミラ遺跡では、日没のアラブ城に登り、夜はベドウィンのテントを訪問し、

そこからクラック デ シュバリエ遺跡ハマアパメア遺跡を通って、

ダマスカスに次ぐシリア第二の都市、アレッポに向かった。

更にそこから、ローカルバスを乗り継いで、

地中海沿いの町ラタキアサラディーン城タルトゥースと回ってダマスカスに入り、

そのまま南下して国境を車で越え、ヨルダンを目指した旅の結末は。。



ヨルダン観光は実現せず、レストランでの食事と、アンマンの夜景だけでした。



ん?どうしてか??

当初、映画「インディージョーンズ」で有名なペトラ遺跡とか、

アラビアのロレンスで有名な、アカバで紅海ダイビングをしようと考えていたのですが、

シリア人の優しさに邪魔?されてる間に、時間がどんどん流れていきました。

シリアでは、本来ゆっくり流れてるハズの時間が、

こういう時に限って早いんですよね~。



いいんです、、

シリア時間に身を任せた旅、

ダマスカスからアンマンまでの相乗りタクシーでは、

シリアの日本大使館の人(シリア人)から見た、日本人の良さや面白い部分、

イラクのおばあちゃんからは、イラクの生の生活が聞けたり、、

それはそれは充実した旅でしたから。










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ダマスカス空港で一夜を過ごした僕は、

暗い間に空港を出発し、砂漠を突っ切るいっぽん道を古代遺跡パルミラへと向かった。

さぁ、これから中東の国アラブなる未知の国を旅するのだ。



パルミラは、ヨーロッパ・アジア・アフリカの3大陸を結ぶ要衝にあり、

古来交易の場(キャラバンサライ)として栄え、

当時は、無敵のローマ帝国を敵に回す程の権勢を誇った中東4大遺跡の1つである。



この地を巡り、様々な民族が侵略を繰り返したせいか、

パルミラばかりか、シリア全体が世界でも群を抜く、見事で広大な遺跡の宝庫となっている。



町中いたるところで、高らかに響くアザーン(祈りの呼び掛け)の声を聞きながら、

その残照の中で佇んでいると、煙草の煙の向こう側に古代人が現れる。

それはまさに、、アラビアンナイトの世界である。

僕に知識があれば、空想はとめどもなく、もっとリアルに広がるんだろうけど。



そうした時間を過ごしていると、

日本で、時間と隣り合わせの生活をしている自分に疲れを感じてしまう。

この国にいると、遊牧生活を営んできた民族(ベドウィン)の国だからなのか、

なんだか、のんびりした気分になってくる。



人間らしい暮らしって何?

物が豊かなこと?



ここシリアには、今なお人間らしい暮らしが存在している気がする。

そして、豊かな心のゆとりを感じる。

それこそ、太古の昔から人間が営み続けてきた生活そのものの姿だと思う。

「日本も昔はこうだったんだろうな~」そう思うと、なんだか余計に寂しくなってくる。



アラブ人と接していると、たまには「しつこい!」と感じる。

そして「うるさい!」と感じることもある。



でも人間らしさを感じるのは何故?



アラブの政治体制は王政・軍政・社会主義共和政と様々なのに、

生活様式は欧米に比べて均質であると聞く。

これはアラブ人は同じ信仰と価値感を共有しているからだとも言われているそうだ。

アラブ社会は保守的であり、和を重んじる民族である、という事だろう。



また欧米人は、客観的に物事を判断できるのが大人だ、という考え方をする。

逆にアラブ人は、主観的で感情的な奴が人間だ、という考えである。

だからアラブ人からすると、「欧米人は何を考えているのか分らない!」となるんだろう。



とすると、、僕はアラブに生まれたら大成するタイプの人間だ。(笑)

「神よ!来世はアラブの国に生を与えたまえ!!」 けっこう本気だったり。(爆)



インシャアッラー

神の思し召すままに





アラブ・・・西アジア~アフリカ大陸の北部一帯を覆う広大な地域。

      アラブ20カ国とパレスチナを含めると、何と21カ国にも及んでしまう。

      ちなみにイランはイスラムの国だが、アラブではない。

      一方、イラクはアラブの国で、アラブ連盟の加盟国でもある。







(画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます)

テヘランの空港に降り立つと、空の青さと乾燥した空気に胸がときめく。
ブルーのモスクに思わず目が止まる。
あれもこれも、東南アジアやヨーロッパでも、見ることのできなかった世界が迫ってくる。

観光旅行で、テレビや写真よりも印象的に見える景色はそうはないだろう。
写真やガイドブックと全然違うといって、がっくりきた海外旅行の経験は誰でもあると思う。

そんな期待を裏切らないのがイランだ。
それどころか、日本にはイランの良さが伝わってない腹立たしささえ感じる。

しかし、イランというと
「テロリストの危険な国」とか「イスラム原理主義の国」というイメージを持たれている。

というのも、かつて中近東で最も親米的だったイランの政治体制が、
イスラム革命によって反米色に変わった事に始まる。

この1979年に始まったイスラム革命に猛反発したアメリカは、イランへの経済封鎖に出た。
イランが「テロの国」「イスラム原理主義の国」というイメージを世界に植え付けたのである。
未だに、そのイメージは拭い去れていない事実は残念である。

ところがイランに行ってみれば、、、
そんなイメージを払拭してしまうほど明るく、開放的で活気に満ちた国なのだ。

イランの印象を、いくつか箇条書きにしてみると

1)街はブルーだ
イスラミック建築であるモスク等、ブルーがとても綺麗。

2)水がおいしい
砂漠の国だが、アラビアのような「砂の国」とはちょっとイメージが違う。
イランの山脈には地中海・黒海・カスピ海の上昇気流がぶつかり冬には雪が降る。
この雪解け水が、地下水となり河川となって、砂漠にある都市を潤しているそうだ。

3)ペルシャ絨毯
作っているところを見たら「ハンドメイド文化」にびっくりする。
今の日本人には失いかけている世界だ。(我がマッセアトゥーラでは健在だ、笑)
天然のシルクやウールを草木染めして大きなものだと何年もかかって織り上げる。

4)ノンアルコール…禁酒国
旅行者でも、お酒を持っているだけで強制退去になるという噂。

5)チャイハネ(喫茶店)
紅茶と水タバコを目的に人々は集まる。
紅茶は角砂糖を口に含み、小さなグラスで受け皿に移してからチビリチビリやるのがイラン式。

6)果物がおいしい
水の美味しい国は食べ物も美味しい。
ブドウもスイカも乾燥地で作ったものは美味しい。

7)ピクニック
イラン人家族はとても仲がいい。
家族どころか、時には親戚中で夜な夜なピクニックに出かける。
芝生のある公園では夜の9時を過ぎると、大勢の人たちが集まってきて楽しんでいる。

いくらでも挙げるとキリがない。
あとは、実際に出かけてみて、エマームモスクの静寂さに身を静めよう。