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ヘンリープールを知っていますか?



背広の語源とも言われている、

英国「サヴィル・ロー」(背広)に店を構える歴史的なテーラーです。



創業は1802年。

顧客には、日本では昭和天皇を初め、白州次郎、吉田茂、伊藤博文らが。

そして海外ではヴィクトリア女王を初め、

ウィンストン・チャーチル、ナポレオンⅢ世、J.P.モルガンらが顧客に名を連ねます。

ただしヘンリープールでは、

原則として既存の顧客(生存中)は名前を公表されていません。



そんなヘンリープールの次期社長、サイモン氏との日本市場向け新ライン打合せの後、

工房内を、カッターのデイヴィット氏の丁寧な説明で案内してもらいました。



彼は、元ティモシーエベレストのカッターとして働いていたそうです。

そして2年前に、より確かな技術を学ぶためにヘンリープールに移ってきたそうです。

腕には1970年製のオメガスピードマスターが、こだわりです。



店内は、入ってすぐに応接スペースがあります。

ここで各担当カッターが採寸し、どんなスーツを作るのかが話し合われます。



多くのバンチ見本から、お気に入りの生地を選んだ顧客は、

その後、裏地とボタンの色くらいは選ぶが、基本的にはお任せが多いとか。



その後、店舗の奥にある裁断場で採寸値に合わせて型紙が引かれ、生地が裁断されます。



最後に、生地に合った「肩・胸馬斯」「垂れ綿」「裏地」「釦」「縫い糸」などがセレクトされ、

裁断後の生地と共に、ひとまとめにされます。

ヘンリープールでは基本的には、ここまでがカッターの仕事です。



パンツは建物の地下で作業するパンツ専門の職人に回され、

ジャケットは、2~5階のジャケット専門の職人が縫い上げていきます。



ヘンリープールでは1人の職人が1着を〝丸縫い〟します。

毎回バラツキが出ないように、1人の顧客には、

最初に担当したカッターや職人が、後々も担当する事になります。

ただ生地によっては、職人さんの得手不得手があるので、

例外として、得意な生地毎にバランスよく割り振る場合もあるそうです。



ヘンリープールの工場内から、ミシンの音は聞こえません。

職人さんが黙々と針を走らせています。

少しでも明かりを採ろうと、みんな机の上に座って作業をしています。

この人達の職人技が、本場英国のビスポークスーツを支えているのかと思うと、

「いつまでも元気で頑張って下さいね」という思いになります。



日本でもいい職人さんは沢山いらっしゃるのに、

仕事がなく(売れず)、その技術を受け継ぐ若者もほとんど居ず、

洋服だけでなく、モノづくりの、どの業界も衰退の一途をたどるばかりです。

消費経済の流れに負けて、

伝統や文化が失われて行く世の中を見守っているしかないのでしょうか。



大量生産・大量消費は経済成長の為には必要な事かもしれませんが、

必要以上に進んでいると思えてならない今の日本を見て、

英国人の古きを守り、大切にするスタイルは真似るべき点は多いと思います。

せっかく物真似の得意な日本人なんだから、

こんな部分も見習って欲しいですね。



今のままだと、日本文化を完全に見失ってしまう時期はそう遠くない気がします。




イタリアへ行って、ある商社に就職内定の決まった

大学生のS君と出会った。

彼とはナポリのサンタルチア港で出会って以来、

ローマでさらに偶然に2度も再会した。



彼と話してる内に、すごく嬉しい言葉を彼の口から聞いた。



「僕も働き出したらイタリア人みたいにビシッとスーツを着たいんですよね。」



「ヨレッとしたスーツを着てたら、

 心までヨレッとしそうな気がするじゃないですか。。」



「どうしてイタリア人ってみんなあんなにパリッとしてるんですかね?」



彼が多くの日本人が着ているスーツと比べて言ってることは

すぐに察しが付いた。

S君はその理由は分からずとも、それが感覚で分かってる、、

そう思うだけで嬉しくなった。

ナポリ男の着てるスーツを見てきたS君の目には、

その格好良さが特に焼き付いたんだと思う。



その後、S君に伝えた内容を一部だけ書き出してみる。。



「イタリア人は胸でスーツを着てるから胸元がパァーんと張っている。

 だからパリッと見えるんじゃないかなぁ。」



「イタリア人はスーツを格好良く着こなすために

 体(特にバスト)を鍛えてる位だからね。

 まぁ、元々の骨格も違うけど。」



「イタリア人はそれが分かってるから何でもタイトに

 ジャストサイズを着るんだと思うよ。」



S君に話しながら、僕が高校時代によく通ったお店の店長から、

そういう話を聞いた事を思い出した。

「アルマーニの店員なんか休憩中に鉄アレーで胸筋を鍛えてるぞ!」

「ラコのポロシャツでもパツパツを着て、鍛えた体をアピールしまくりや!」



僕はその店長の言葉に影響を受け、

パツパツのフレンチラコのポロシャツのボタンを全部外し、

胸にスコォォォーンとハマる麻の濃紺のジャケットを着て、

颯爽とヴェスパを転がし、高校へと通ったものだ。

思えば当時はセニョール気取りだったなぁ(爆)



僕の過去の栄光?話にそれたから元に戻すと。。。



みなさんのスーツは本当に体に合ってますか?

ウエストやパンツ丈、袖丈や着丈。

これだけで体に合ってると勘違いしていませんか?

基本はバストです!!



いま一度、鏡に映った自分の姿を見て下さい。

僕は自分の姿を見て吹き出しましたが、、、

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19世紀後半~1960年代まで作られた『Dobcross Loom』という織機をご存知ですか?
低速で、手間と時間をかけて生地を織る英国古来の織機(ルーム)で、
英国北部にあるドブクロス村で作られたことに由来して、
『ドブクロスルーム』と名付けられました。

このLoom(織機)で織られた生地を『Dobcross(ドブクロス)』と呼びますが、
これは『Holland&Sherry(ホーランド&シェリー)』の登録商標。
この織機で織られた生地は、ウール本来の柔らかな風合いと弾力性に富んでいます。

緯糸(ヨコ糸)を、木製のShuttle(シャトル)で、
1分間に100ピック(往復)の速さで丹念に打ち込んでいきます。
この速さでは、1日にたったの0.5反しか織れません。(1反は約50メーター)

織機本体もさることながら、動いてる〝サマ〟は圧倒的な存在感を醸し出しています。
音の存在感も凄くて、工場に入るには耳栓着用が義務付けられてる位です。

現在は技術も進み、この低速のドブクロス織機から段々と高速化され、
『レピア織機』や『ズルツァー織機』、さらには、
ジェットエアーによって超高速で糸を送る『ジェット織機』へと進化を続けています。

これらの織機は、1分間で400ピックの速さで緯糸(ヨコ糸)を打ち込みますから、
ドブクロスルームの4倍の早さで、1日に2反を織れる事になりますね。

エアージェット織機になると、1分間に600ピックですから、
ドブクロスの、実に6倍というスピードになります。
そうなると、何と1日に3反も織れます。

ただ、エアージェット織機は、
単純な組織構成の生地を織る事には適していますが、
複雑な組織の生地を織る場合は、今でも低速織機で織られています。
あと、ドイツで開発された『ショーンヘル』という織機ですと、
これはドブクロス織機よりも若干新しい機械で、
それでも1分間に120ピックです。

緯糸(ヨコ糸)の打ち込み速度が高速になればなるほど、
糸にかかるテンションが強くなり、ウール本来の弾力性や風合いは損なわれます。
最近では織り上がった後のフィニッシング(仕上げ・整理)が進んで、
見た感じや触った感じは、パッと見は同じようですが、
表面的に加工したものと、本来持つ特性がそうであるものとでは、
着込んで行った時に差が出てくるでしょうね。

今回訪問したミル(機屋)は、
元々はテイラーリトルウッドと云うミルで、
それを、ホーランド&シェリー社が買収したものです。
現在の正式名は、そのまんま『Dobcross Weaving Company』といいます。
そこにはドブクロスルームが14台(2002年春現在)と、
見本反用ハーフ巾のルームが1台あり、ほとんどが5~60年前の物だそうです。
そして、織機の生産自体も30年程前に終了しているとの事でした。
工場を案内してくれた工場長のKen氏は、
廃業するミルから、古いドブクロス織機を買い取ってきては、
徐々にその数を増やしているそうですから、そうなると、もうマニアですね!
工場の隅っこには〝部品取り車〟さながら〝部品取り織機〟が何台も置かれていましたからね。

皆さんは、最新の技術を使ったスーパ180’Sや150’Sといった〝ハイテク〟な生地と、
クラシカルな手法で織られた、手の温もりのある〝ローテク〟な生地、
どちらを選ばれますか?


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