クラシコイタリア協会のブースが集まる入り口です。







ここは展示会場の中でも大規模な建物のニ階にありました。

他のブースとは一線を画して高級感が漂っています。

流石はクラシコイタリアですね。

そういう目で見てるから?

(関係のない事ですが写真のドゥカティはスポンサー?)







さて 実際にブースエリアに入ると、最近やたらと目に付くビタミンカラーとまではいきませんが、

クラシコのメーカーでも明るい色、その中でも暖色系が目立ちました。

それは、挿し色としてだけではなく、最近 どんどん増えてきている

ジャケットスタイルでも目立ちます(2枚目の写真・ISAIA)。







3枚目の写真 Kitonの男性スタッフも着ているように、

ストライプスーツのヴァリエーションは既に定番化している感じですね。

また柄としてはグレンチェックなどの英国っぽい柄も定番の域です。

単純なウインドゥペンは余り見かけなくなり、

すっかり身を潜めてしまったようです。



また カシミアを始めとする獣毛系素材やソフトツイードのジャケットを

多く見かけました。

カシミアは価格が高いので 大ブレークとまでは無理にしても

高額所得者層の間では密かに流行るかもしれませんね。



デザイン的には シングル1釦や2釦のピークドラペルが目立ちました。

もちろん柄は、英国モダンカントリー調です。







スーツの中心色はミネラルグレイやブラウンが目立ちました。

バリエーションも多くて、キャメル等の明るい色からダークまで 様々でした。



シルエットに関してですが クラシコは何も変わっていませんでした。

でも それ故にクラシコなんですよね。

クラシコがコロコロ変わって モードの聖域を侵したりして(笑)。

ただ概して言うなら、クラシックは全体に細く、襟も狭目。

モードはシルエットが細く襟巾は広い目です。

コートに関しては引き続き細身のショートコートが目立ちました。



ちょっと話はそれますが クラシコイタリアは伝統的な英国服がその模範とされています。

これは アルティジャーノ(イタリア人の仕立て職人)の

古典的な英国服への深い憧憬から始まったものと言われています。

ですから、日本でモードだと思われている?クラシコイタリアも

昔から同じ血統を受け継いでいるだけで、何も変わってはいないのです。

Sジャケット3ボタンの真ん中1B掛けも袖釦の重ね付けも、

何もかもが英国への憧憬に色気を添えた イタリア男の遊び心なのです。



下3枚の画像はプレタのメーカーです。

やはり暖色系のブライトレッド ~ブラウンの傾向が見られます。

靴下の色を見ても レッドや茶、それにグラスグリーンと

まさにトレンド揃いですね。















見てきた事を書き並べましたが、参考になるでしょうか? 

色に関しては、ネクタイやポケットチーフにトレンド色を使うとか、

マフラーに使うとか、、

着こなしに新しい可能性を広げてくれるのではないでしょうか!

ピッティ・イマジネ・ウォモ

これが、今回の出張の最大の目的でした。







中部イタリアの古都、と言われるフィレンツェには

ウフィツィ美術館や ドゥウォモ、ヴェッキオ橋など歴史的建造物が集中し、

街全体が美術館と形容される程です。







ピッティ・ウォモは そのフィレンツェの中心部から少し北、

フィレンツェ鉄道駅〝サンタ・マリア・ノヴェッラ〟に近いバッソ要塞で

年に2回開催される 世界最大規模のメンズ総合服飾見本市です。

ここで世界中のアパレルとバイヤーの真剣勝負が

4日間に渡って繰り広げられます。

従ってここで打ち出されたトレンドは、

半年後には 日本にも確実に登場する事になります。







その 16世紀に建てられた 広大な五角形の建造物の中に、

800近くのブランドブースが、約30ヶ所の建物の中に点在します。

効率よく回る為に 先に展示会パンフレットで行くべきブースをチェックしました。



各ブースのディスプレイも楽しいのですが、

会場内はさながらファッションショー? 

お洒落な人を見付けたら写真を撮らせてもらったり勝手に撮ったり(笑)。

シックなスーツに挿し色として、オレンジ、赤、ピンク、グラスグリーンなどを、

巧く使った人が目立ちました。

これは明日に紹介する予定ですが、ディスプレイも同様の色が目立っていました。







またピッティでは、毎年招待デザイナーを招いて展示会を盛り上げています。

今回は、山本耀司さんが迎えられ、

開催日初日の1月12日、レオポルダ駅で ショーを開催。

同時に ピッティ宮殿内の近代美術館で、

Yohji Yamamoto』 ブランドの作品を集めた回顧展も開催されていました。







急に話は変わりますが、、

モトリーノ・デル・ベント の寺田さんが、

僕が今回の出張で 出会ったヴェスパ達を始め、

色々な写真をモトリーノのサイトで紹介して下さってます。

ナポリの目抜き通りキアイアからフィランジェリーに入って、

ロンドンハウス、フェイ(トッズのアパレル部門)のあるコーナーを越えて、

次の角を右に曲がると、突き当りに、雰囲気のある映画館(下の画像)があるのですが、

その一角に僕の大好きな、アットリーニと云うサルトリア(テーラー)があります。

世界最高クラスの軽い着心地を体感させてくれる品の良いスーツは

既製品としても、世界中に顧客を持っています。





この日は店主のクラウディオ氏がいらっしゃいました。

前回訪れた時には、縫製工場をされている弟のチェーザレ氏がいらっしゃいました。

話している中で「やっぱりナポリの服は胸で着るんだな」と感じます。



胸板が薄い日本人に、胸板の厚いイタリア人の服は似合わないと言われますが、

オーダーならそれをカバーして仕立ててもらう事も可能かなと思うのですが、

作り慣れてさえいないから、無理なのでしょうか?



それよりも、僕もイタリア人みたいに胸の筋肉を鍛えた方が、、

それも無理か、、ラテン民族とは土台、骨格が違いますものね。(苦笑)





帰りにロンドンハウスのオーナー、ルビナッチ氏に初めて会ったので、

写真を撮らせてもらいました。

ルビナッチとアットリーニ、両氏のお父さんが

今のナポリのクラシックスタイルを確立したと言われています。



最後に本題からはズレますが、、

どちらのお店でも、やはりモダン英国調のジャケット地が目に付きました。








街歩きの楽しみの1つに、ウインドウディスプレイがあります。

ミラノのドゥウオモから歩いて直ぐ、激しく目に飛び込んでくるお店があります。

英国調に染められた迫力のあるディスプレイは、何度見ても飽きません。

中に入ると、イタリアにいる事を忘れてしまうほどです。



イタリア人は英国に対する情景が深いと言いますが、

確かにセレクトショップでは、バーバリーを置いている所が多かったり、

靴でも、チャーチなんかの英国製が目に付きます。

チャーチがプラダに買収される、ずっとずっと前からみたいです。





次はパリのヴァンドーム広場から近いシャルベのディスプレイです。

ウインドウ毎にテーマカラーがあるのですが、これはパープルで統一されたウインドウ。

内装は、元バンクオブアメリカの建物を改装して使っているそうで、

外観は当時と同じまま使われているそうです。

というかヨーロッパ自体、街の外観を保つために規制がかかっているので、

変える事が出来ないんですよね。 とても共感できます。





ウインドウを男性が覗き込む姿を、イタリアではあちこちで見かけます。

この風景、若い人よりも 年配層に多いように思います。こんな風景は日本じゃ見ないですね。

写真はナポリのルイジボレッリです。








パリ観光の時の中心地となるオペラ座から、メトロ4号線の終着、

クリニャンクールの蚤の市で見付けた1930年代~’70年代のファッション雑誌です。

すごく高かったのですが、向学の為にと奮発しました(笑)。

こんなの日本だと、中々手に入らないですから、、





アダムはフランスの一般向け男性ファッション誌。

その他にも、テーラー等技術者向けの専門誌も見つけました。

それら書中で、クラシコのディーテールも普通に登場しているのですが、

それは取り立てて言うべき事でもなくて、クラシックのベースは不変って事なんですよね。



また後日のダイアリーでもお伝えしますが、

年代毎にそれぞれ特徴がありますから、見ていて非常に面白いです。

60年代に見られた巾の狭い襟が、70年代には広いラペルへと変化してゆきます。

それって、最近のモードの傾向に非常に似ていますね。





昔から 「ファッションは繰り返す」と言われますが、それがまさに見て取れます。

ただ最近では、そのサイクルがスピードアップしていますから、

現在と過去の流行が混在する傾向にあり、最後は自分の好みという事になると思います。



いつもの繰り返しになりますが、

流行を意識しつつも、流されずに自分のスタイルを確立してゆく。

確立できたなって思えるのが80歳を過ぎてからでも、、いいんじゃないでしょうか!(笑)





『クリニャンクールの蚤の市』 は、1日ブラついても飽きないワンダーランドでした。






ミラノ中央駅から国際列車で1時間強で

スイスのルガーノという の周りに発展した小さな町に着きます。

駅構内からケーブルカーが出ており5分で市街地に出ます。

スイスらしくチーズを売る屋台があったり、スイスの山々が見えたりと

プチスイス気分♪

また市街地には時計店が並び、中でもアンティークを専門にするお店

興味のある人は必見と、デイトリップにはお勧めの町です。







その町でスイス製 「riri」 のファスナを仕入れてきました。

本来の「riri」の特徴は独特のメタリックな輝きがあり、

そのシャリシャリとした使い心地なのですが、

今回の物はスーツに相応しいタイプで

生地に合わせてカラーリングされています。

裏は独特のメタリッキーな輝きを放っています。

もちろん「riri」特有のスライダーの引き手を下げると

ロックがかかって下がらない機能もあります。

といっても機能的には日本が世界に誇るYKKが最高だと思いますが、

そんなモンは気分気分♪

価格的にもYKKの5倍くらいはするけど、

YKKには無い味がありますよね。







あと今回のピッティでも目立った ジャケットスタイルですが、

着ている内に 肘が薄くなってきたジャケットには、

ツイードやコーデュロイなんかだとエルボーパッチ(肘当て)を付けて、

更にガンガン着ましょう♪

日本では 棄ててしまいそうですが、洋服を大切にするヨーロッパでは

当然のように普通に店頭に並んでいます。

マッセアトゥーラでも 薄くなってきた方にはコレで修理させて頂きます♪




マリネッラのタイは、見た目は普通のタイですが、世界中にVIPな顧客を持ちます。
素材は、イタリアと云えば真っ先に思い浮かべられるコモ産ではなく、
主に、英国のデイヴィッド・エバンスから供給を受けています。
それを、ナポリのサンタルチア港のすぐそばの自社工房で縫い上げ、
すぐ隣にある間口3mほどの店舗で販売されます。(小さくても重厚な店作りですが、、)

工房には、目が細かく打ち込みのしっかりした
デイヴィッド・エバンスの生地が山のように積み上げられています。
そこで出来上がったネクタイは、何と言っても生地と芯地のバランスが良く、
持つ者だけが味わえる、最高の締め心地を提供してくれます。
柄に関しても、1つの柄からは4本しか取れないそうで、
「同じタイを締めた人を目にする事はない。」
と言われている事も魅力の1つです。
見た目は普通のタイですが、絞めると、とても上質な表情になります。
そんな、「自分自身にしか分からない〝良質なもの〟を身に付ける。」という哲学。
マリネッラのタイは、そんな人たちの思いを叶えるネクタイ。

ナポレターノは、マリネッラのネクタイだけは、
たとえ擦り切れても、棄てないで大切に持っておくと聞きます。
イタリアのオヤジが格好いいのは
彼らが〝老いる〟のではなく〝成熟〟するからだと思います。
毎年流行を追う事も、1つのスタイルですが、自分のスタイル(=美意識)を、
何年もかかって積み重ねる事の方が僕は好きです。
その上で流行も分かっている、なんて最高。
流行を嫌う事も、流行を分かった人が言うと格好いいですが、
それだけでは偏っている、逃げじゃないかな?と、僕は思うのですが、、

イタリアに行くと、そんなオヤジにこそ、、もっと言うと、
老人にこそ、美しさや色っぽさを感じる理由はそんな所にあるのではないでしょうか。

マリネッラのネクタイ、
20本ちょっとだけ厳選して仕入れましたので、ご興味のある方は是非。
ナポリに行くと、少しずつですが買い付けてきますね
出来ることなら、毎年買い続けられれば、、



帰ってきました!長らくごめんなさい。

イタリア気分を盛り上げようと 往きの飛行機からグラッパを飲みまくり、

気合を入れて行ってきました(笑)。







早速ですが毎回思うことがあります。

オッサンがお洒落なんです。若い人より断然お洒落!

今回もそんなオッサンにいっぱい出会いました。

日本でも巷では「もてるオヤジ」で盛り上がってますよね。

日本のオッサンもお洒落になりましょう♪

お金をかけなくてもお洒落は意識から、ですから。







ナポリの キアイア通り外れで出会ったオッサン。

靴とカシミアのコートの色、それに ネクタイとマフラー、

その色使いは絶妙でした。

写真を撮らせてもらった後、セネガルから来たという 隣の若い男性が

ジェンベを叩いてくれ、オッサン踊り出して皆で盛り上がりました。

ご機嫌ナポレターノでした♪







フィレンツエのカフェで見かけたオッサン。

赤の使い方が巧いですね。

時計のダイアル(文字盤)まで赤です。

「オジさんお洒落やね~」と云うと、喜んで撮らせてくれました。

センスは 多少コッテリ系ですが、マフラーの巻き方まで

「おっしゃれ~」です。

このオッサンのハッキリした分かり易いセンスは結構僕の好みです。







ナポリで「綺麗なビンテージやなぁ」と勝手に写真を撮ってたら

「俺のバイクに何か?」と云って寄ってきたオッサン。

ビッカビカのベスパRally。

「俺も前に乗ってたんだよ」と話すと わざわざ乗ってくれたオッサン。

やっぱり目だって何ボなんでしょう、この国は。

それにしてもこのオッサン、ベルスタッフのジャケットに、

いい感じのジーンズ履いていい味出してましたね。

サングラスはペルソールでした。



当分の間、ダイアリーでは今回仕入れてきたネタを続けさせて頂きますね。

(画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます)


ヘンリープールを知っていますか?



背広の語源とも言われている、

英国「サヴィル・ロー」(背広)に店を構える歴史的なテーラーです。



創業は1802年。

顧客には、日本では昭和天皇を初め、白州次郎、吉田茂、伊藤博文らが。

そして海外ではヴィクトリア女王を初め、

ウィンストン・チャーチル、ナポレオンⅢ世、J.P.モルガンらが顧客に名を連ねます。

ただしヘンリープールでは、

原則として既存の顧客(生存中)は名前を公表されていません。



そんなヘンリープールの次期社長、サイモン氏との日本市場向け新ライン打合せの後、

工房内を、カッターのデイヴィット氏の丁寧な説明で案内してもらいました。



彼は、元ティモシーエベレストのカッターとして働いていたそうです。

そして2年前に、より確かな技術を学ぶためにヘンリープールに移ってきたそうです。

腕には1970年製のオメガスピードマスターが、こだわりです。



店内は、入ってすぐに応接スペースがあります。

ここで各担当カッターが採寸し、どんなスーツを作るのかが話し合われます。



多くのバンチ見本から、お気に入りの生地を選んだ顧客は、

その後、裏地とボタンの色くらいは選ぶが、基本的にはお任せが多いとか。



その後、店舗の奥にある裁断場で採寸値に合わせて型紙が引かれ、生地が裁断されます。



最後に、生地に合った「肩・胸馬斯」「垂れ綿」「裏地」「釦」「縫い糸」などがセレクトされ、

裁断後の生地と共に、ひとまとめにされます。

ヘンリープールでは基本的には、ここまでがカッターの仕事です。



パンツは建物の地下で作業するパンツ専門の職人に回され、

ジャケットは、2~5階のジャケット専門の職人が縫い上げていきます。



ヘンリープールでは1人の職人が1着を〝丸縫い〟します。

毎回バラツキが出ないように、1人の顧客には、

最初に担当したカッターや職人が、後々も担当する事になります。

ただ生地によっては、職人さんの得手不得手があるので、

例外として、得意な生地毎にバランスよく割り振る場合もあるそうです。



ヘンリープールの工場内から、ミシンの音は聞こえません。

職人さんが黙々と針を走らせています。

少しでも明かりを採ろうと、みんな机の上に座って作業をしています。

この人達の職人技が、本場英国のビスポークスーツを支えているのかと思うと、

「いつまでも元気で頑張って下さいね」という思いになります。



日本でもいい職人さんは沢山いらっしゃるのに、

仕事がなく(売れず)、その技術を受け継ぐ若者もほとんど居ず、

洋服だけでなく、モノづくりの、どの業界も衰退の一途をたどるばかりです。

消費経済の流れに負けて、

伝統や文化が失われて行く世の中を見守っているしかないのでしょうか。



大量生産・大量消費は経済成長の為には必要な事かもしれませんが、

必要以上に進んでいると思えてならない今の日本を見て、

英国人の古きを守り、大切にするスタイルは真似るべき点は多いと思います。

せっかく物真似の得意な日本人なんだから、

こんな部分も見習って欲しいですね。



今のままだと、日本文化を完全に見失ってしまう時期はそう遠くない気がします。










(画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます)



アラブの国(その1)の続きです。

アラブと聞くと、テロをはじめ、何か怪しげなイメージを持つ人が多いと思います。

でも実際行ってみた感想は、、かなり穴場です。



アジア旅行で痛い目に遇った人、

ヨーロッパで人との触れ合いに寂しさを感じた人、、

アラブを旅行すると、必ず満足できるんじゃないでしょうか!(笑)

ただアラブ人は、ちょっと親切が度を越えて、お節介過ぎる部分はあります。

そりゃ、中には悪い人もいるかもしれませんが、悪い人に出会ったことがありません。



道を歩いていると声がかかります。もちろんアラビア語。

訳も分からずに近寄って行くと、「お茶を飲んでけ!」と言う。(言ってると思う)



ちょっと道を聞こうものなら、質問責めに遭います。

「どこから来た?」「シリアはどうだ?」「宗教は何だ?」「結婚はしてるのか?」「子供は何人だ?」

「車は持っているのか?」「仕事は何だ?」「俺の家に遊びに来い!!」

1時間くらい、あっという間に経ってしまいます。



アラブ人の時間の感覚に合わせてると、

あっちこっちで話してばかりになって、前に進めません。

予定の半分どころか、コミュニケーションだけで終わってしまいそう。

でも僕は、そんな人懐っこいアラブ人の親切を無視?して、かなり歩き回りました。



パルミラ遺跡では、日没のアラブ城に登り、夜はベドウィンのテントを訪問し、

そこからクラック デ シュバリエ遺跡ハマアパメア遺跡を通って、

ダマスカスに次ぐシリア第二の都市、アレッポに向かった。

更にそこから、ローカルバスを乗り継いで、

地中海沿いの町ラタキアサラディーン城タルトゥースと回ってダマスカスに入り、

そのまま南下して国境を車で越え、ヨルダンを目指した旅の結末は。。



ヨルダン観光は実現せず、レストランでの食事と、アンマンの夜景だけでした。



ん?どうしてか??

当初、映画「インディージョーンズ」で有名なペトラ遺跡とか、

アラビアのロレンスで有名な、アカバで紅海ダイビングをしようと考えていたのですが、

シリア人の優しさに邪魔?されてる間に、時間がどんどん流れていきました。

シリアでは、本来ゆっくり流れてるハズの時間が、

こういう時に限って早いんですよね~。



いいんです、、

シリア時間に身を任せた旅、

ダマスカスからアンマンまでの相乗りタクシーでは、

シリアの日本大使館の人(シリア人)から見た、日本人の良さや面白い部分、

イラクのおばあちゃんからは、イラクの生の生活が聞けたり、、

それはそれは充実した旅でしたから。