2010年1月18日
昨夜、シチリア島のカターニャから夜汽車に乗って、
朝06:00にナポリチェントラーレに到着、一旦ホテルにチェックイン。
以前、ポンペイとエルコラーノには行ったので、今回はパエストゥムの遺跡を見に行きました。
*写真はケレス神殿


ポンペイやエルコラーノのように、町全体としての遺跡というより、
こちらは古代ローマ時代より古い、古代ギリシャ時代の『神殿(ギリシャ建築)』が見もので、
町全体というより、むしろ僕は『壮大な彫刻物』を見に行ったような感じでした。
遺跡として管理されているエリア以外にも、遺跡が点在しています。
世界で最も保存状態の良いドーリア様式の傑作だそうで、
アテネのパルテノン神殿に規模では負けても、
保存状態はこちらが良いとか。

ナポリチェントラーレから直通の電車も出ていたのですが、
本数が少なく、何の下調べもしてなかったので、途中のサレルノまで電車で行って、
そこからバスで向かうことにしました。サレルノは以前にアマルフィーに向かう時にも通過した町です。
その町から、アマルフィーとは逆の海沿いを走るバスに乗りました。


めちゃくちゃ天気が良かったので、マリーナも最高の雰囲気。
後ろ髪を惹かれる気持ちで、パエストゥム行きのバスに乗り込みました。


ネプチューン神殿(Tempio di Nettuno)。
ローマ建築と異なり、この時代まだ円柱以外には曲線が用いられていません。


バシリカ(basilica)

遺跡の大きさが分かります。


ここには、ギリシャ時代だけではなく、
ローマ時代の遺跡も残っています。最初に「町全体の遺跡としてではなく、、」
と書きましたが、見所はそこじゃなくってって意味で、その後の変遷の中でローマ時代の遺跡も残っています。


広々としているので、散歩気分です♪
遺跡を見ていて、こんな気分になるのは初めてかも。
下に芝生とか生えているからでしょうか、良い「気」が流れてるから!?


ほら、ローマ遺跡の象徴!?円形劇場もあります!


周りは何もない田園風景で、とってものんびりしていました。
さぁ、イタリアでの週末も終わりました!明日からまた吸収しまくってきます




3日過ごしたシチリアとも今日でお別れ。
カターニャの駅前でパニーニとビールの晩ご飯を済ませ、


翌朝のナポリに向かう列車(終着はローマ)に乗り込みました。
もちろん、缶ビールも買っています(笑。


時間の節約も出来るしホテル代も浮くし、それより、
あの心地よい振動が子守唄みたいに聞こえ、酔いが回ってきて
自然に眠りにつける、あの心地よさが止められず、昔から夜行列車は大好きです。


カターニャ22:04出発
メッシーナ(海峡)駅23:30到着
準備を済ませ、23:50から船底に積み込み開始!


牽引してきた機関車を切り離し、
最後尾の車輌の後ろに機関車を連結し、後ろから押します。


列車が船内に押し込まれてゆきます。


前の3両だけ切り離して、一旦バックし、また次の列車を押し込みます。
今度は4両を残して機関車と切り離し、またバックする。
これを繰り返し列車は全て積み込まれます。
牽いてきた機関車はここまで。


積み終わったら、船内に出てゆっくり過ごせます。


メッシーナ海峡の夜景を眺めながら、
ナポリ側の港、ヴィッラSt.ジョバンニに向けて船はゆっくりと進みます。


船は、イタリア国鉄『トレ二タリア』の専用船です。
昔の青函連絡船も、こうして列車を積んで海を越えていました


25時、ヴィッラSt.ジョバンニに到着すると、線路がゆっくりと降りてきました。


今から約30分かけて列車を降ろします。


イタリアの地図を思い出して下さい!
船を出ると、イタリア長靴のつま先に上陸です(笑。
それじゃ6時のナポリ到着までゆっくり休みます、お休みなさいzzz
到着して午後から、ロンドンハウスの工房と、アミナ・ルビナッチのニット工房訪問です。


最後に、、
話の流れと関係ないんですけど、フィアットが作った初代ペンドリーノ(ETR450)です。
愛嬌のある風貌ですが、最高速度320km/hで、営業速度は250km/h。
1988年の登場で今は主要路線からは外されましたが、
日本の初期型0系みたいな扱われ方で、
今でも現役で走っています。


前回の出張の時はバルセロナに行った週末旅行でしたが、今回のシシリー行きも大満足!
ナポリに着いて、今日からまた工房巡りが始まります!!
それは、また改めて。



昨日と今日の午前中でカターニャを駆け足で見て回り、何となく町の雰囲気も分かったので、
午後から列車で、隣町のシラクーザに向かいました。*2005年世界遺産登録


駅前に自転車があったので借りようと、


タバッキの人とごちゃごちゃしてる内に、
システムの故障で、スタンドから自転車が離れないってなって、
ごちゃごちゃしていた時間も楽しくて今となっては思い出ですが、結局は歩いて回る羽目に。
ん?良く見ると、このテールランプ、僕の『Di Blasi』と同じですね。シチリアでは一般的なのかもしれません(笑!


予想以上に遺跡までは遠く、着いた頃には、、


ちょうど閉まったところでした(汗。
15時30分ですよ、15時30分!早すぎませんか!!?
中には入れませんでしたが、周りから中を覗けたので、すっかり入った気分(笑。


その後に行った博物館も閉まってて(こっちは休館だったかな?)、
そこで、偶然にも朝、電車で一緒だった英国人スティーヴと再開し、「俺らついてないよなぁ~」と笑いつつ、
そのせいか仲間意識が生まれて?一緒にオルティージャ島まで歩く事になりました。


途中、新興宗教?の建物みたいなの異様な建築物が現れたのですが、
彼はしっかり調べていたようで、これはマドンナ・デッレ・ラクリメ教会(涙の聖母教会)だと教えてくれました。


中に入ってみたり、、、


僕が、「しっかり調べんてんなぁ~」「そのわりに、全部閉まってるトコばっかり行ってるやん!」と言うと、
ガイドブックには、夏と冬で、営業時間に違いがあるとは書かれてないらしく、
逆に僕も聞かれたので、「俺は何も調べずに来た!」と言うと、
彼の説明量は一気に増えて、僕のガイド役になってくれました(笑。
彼はオックスフォード出身の秀才で、今でもメル友です♪

今にもフロアが抜けそうなチンクェチェント!
ミラノやフィレンツェでヴィンテージは見ても、こんな錆々は見なくなりました。


オルティージャ島に渡る橋の近くまできて、後ろを振り返ると、、あの巨大な教会が!
世界遺産の町に、この造形は似合わないように思うのですが、
教会が建てられたのは、世界遺産登録(2005年)前の、1990年だとか。


いよいよオルティージャ島です!
といっても、何があるのかさっぱり知りません(笑。


オルティージャ島は、シラクーサの旧市街。
とりあえず、てくてく歩きますが、スティーヴとの会話に気が散って?
あまり景色が目に入ってきません(涙。 でも、名ガイドになった彼から知識は頭に入ってきます(笑。


何となく、僕の好きな雰囲気が漂っています。


こんな雰囲気も何気な~く好きだし、


こんな雰囲気も好きです。
こんな石畳の路地に、パンダが似合います。
今のパンダより、ジウジアーロ率いるイタルDesigneデザインのパンダ。
シートの生地をミッソーニがデザインしていた事もあります。


apeが絵になりますね~


アルキメデス広場までやってきました。
これもスティーヴの受け売り(笑。 中央にあるのはアルテミスの噴水。
アルキメデスにアルテミス? ん?アルテミスってギリシャ神話に出てくる女神さまですよね?
何の関係? スティーヴが言うには、アルキメデスはシラクーサ生まれ。 きっと、何か意味があるんでしょうね。


ドゥオモ。 ミラノのドゥウォモみたいな威厳は感じなかったけど、
バロック様式の重厚な彫刻は豪華なのに、明るい感じがして、建築物としては僕は好きです。
BC5世紀に建てられたギリシャ神殿を、AC7世紀にキリスト教会に改築し、
内部にはアテネ神殿の円柱が残っているそうです。
この広場には、ドゥウォモの他にも多くのバロック様式の建築が建ち並んでいます。
スティーヴとは、ここでお別れ。近くのホテルに泊まってるそうです。


ここにもapeが! 大阪でも、たまに1台見かけたんですけど、最近、見なくなりました~


シラクーサ旧市街のあちこちからイオニア海が見えます。
夏なら、もっと綺麗なんだろうな~と、荒れたイオニア海に少しがっかり(涙。


道に迷いながら(最初から知らないんだから、迷うも何もないですね笑)、隈なく歩き回ります。


何だか不思議な光景が!
アレトゥーザの泉と書かれています。
このモコモコした植物は、何と何とパピルスだそうです!
ガイドブックを持ってないしスティーヴもいないので、その時は良く分からなかったけど、
帰ってから調べてみると!!
海沿いにあるのに真水が湧く不思議な泉で、パピルスが自生しているのは、こことエジプトだけとか。


島内(旧市街)ほとんど歩きました! 海沿いの道が町全体を囲んでいます。


陽が落ちてきました。


世界に誇れる日本の名車、ジムニーです!


どんどん陽が暮れていきますが、旧市街に人は歩いていません。


少し心細くなってきた頃に、こういう光景を見ると、人の気配を感じてホッとします。


どんどん暗く、、というか、空がどんどん綺麗になります!
ここにもapeが! ape好きなんです(笑。


どんどん空が碧くなります!


そろそろバスの時間なので、ターミナルに向かいます。
帰りはバスで、違う景色を見て帰ります!って、、暗くて景色は見えないですね。。
*ダイビング関連のステッカーが貼られたディフェンダー。 映画グランブルーロケ地タオルミーナからすぐですもんね


長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
これからカターニャまで戻って、そのままナポリ行きの夜行列車に乗ります。
急にフラッと来た町でしたが、もう一度、泊まりで来たい、こじんまりとした、素敵なところでした。
今回のシチリア、日本人には1度も会いませんでした。そりゃ、太陽と海の島シチリアに、冬になんて来ませんよね~



もう随分と前の事になりますが、僕は2008年2月、
ロンドンから北へ200キロほど北部の町ファースリー(リーズ近郊)に本社を構える
エドウィンウッドハウス(EdwinWoodhouse)を訪れる機会を頂きました。
Eウッドハウスは1857年にハダスフィールドで創業し、僕が訪問する前年に創業150周年を迎えています。
ロンドンからインターシティーで、駅まで営業企画部長のジョナサン氏が迎えにきて下さいました。


レセプションルームには記録的な写真や資料が置かれています。
レセプションルームと云うより、さながらアーカイブ(保存資料)ルームですね。


これから発表される生地サンプルです。


1910年代、バーバリーに供給された生地のアーカイヴです。


1897年のアーカイヴです。


他にもアーカイヴがシーズンごと(基本シーズン毎に年2冊)にまとめられています。


以前に訪問したホーランドシェリーと同様、
Eウッドハウスでも、自社でバンチサンプルを作成されていました。


サンプルにラベルを貼る地道な作業ですが、こうして、
バンチ(生地見本帳)も、多くの人の手で完成され、世界に向けて送り届けられます。


自社で織った生地をクオリティー別にストックし、
世界各国からの注文に応じてカットし、即日送り出されます。
ミル(生地を織る)とマーチャント(仕入れて切り売りする)に分かれますが、
Eウッドハウスは、両方の機能を有する稀な存在だと思います。少なくとも僕はほとんど知りません。


過去にドロップした生地も、こうして少しずつストックされています。


6プライはウッドハウスで織っていました
マッセアトゥーラにも、Eウッドハウスの耳が付いた6プライが少しだけあります。
スポルティーヴォ、、ドーメルで云うスポーテックスの意味合い。


機場に入って行きます!


今まで見せてもらってきた中でも、かなり大きな規模の工場だと思います。
低速織機ではありませんが、ほとんどがレピア織機でした。
バタバタで詳しく聞けませんでした(汗。


経糸(タテ糸)を変えて、、
マス見本(サンプル)を織っています。


エンドレスペーパー(紋紙)で生地の柄が表現されます。オルゴールを想像しませんか!
近代的なエアジェット織機だと、
柄出しなんかも、全てコンピューター化されています。


凄い量のエンドレスペーパー(紋紙)です。
こんな棚が幾つもありました。


原毛です。
以前は製糸部門も擁していたのか、、聞き逃しました。
何に使うのか、、この分量だけ無造作に置かれていたのですが、もしかしてオブジェ?(笑


緯糸(ヨコ糸)を打ち込む時、
持ち上がったタテ糸と、持ち上がらなかったタテ糸の間にヨコ糸が通って筬を打ちます。
*筬(オサ):経糸を整え緯糸を入れた後、目を詰めるために使う道具。
ヨコ糸→筬打ち、この繰り返しで柄が織り上がります。
*この内容は以前に書いていますので、そちらをご覧下さい⇒2010年3月25日


レセプションルームから見た工場の屋根を見ても、その規模が想像できると思います。


貴重な機会を戴いた皆さまに感謝いたします。
本当にありがとうございました。


今朝の朝刊に、シリアのパルミラ遺跡のことが書かれていました。
チュニジアに始まったアラブの春はシリアにも及んで、
国内は混乱の一途をたどり、内戦に発展する勢いで事態は悪化しているようです。
今まで僕が、バックパックを背負って旅した国の中で、シリアは、その人柄に印象が残っています。

以前、イランについて書きましたが、
イスラムの国の人々は旅人に親切で、それまでのアラブのイメージを覆されました。
僕は2000年の冬、真夜中のダマスカス空港に到着し、
その古びた空港の片隅にダンボールを敷いて、一夜を明かしました。
早朝、タクシーに乗り込んで、200kmほど離れたパルミラ(遺跡)へと向かいました。
シルクロードの時代に、キャラバンサライの都市として繁栄したパルミラは、
シリア砂漠の中央に位置し、、世界遺産になっています。
その町のホテルや土産物屋が、今は全て閉められているそうです。
民衆の暴徒化で、遺産が盗掘されないようにとのこと。
遺跡のあらゆる展示場、展示品も封鎖されているそうです。
他にもアレッポを初めとする地中海沿岸の遺跡でも、同様の事が起きているとか。
それらの地は、当然、観光客どころか、誰一人として人影はないようです。
世界遺産を見たことより、人柄の思い出ばかりが残る国、シリア。
どこに行っても親切にしてもらった、あの彼らの国で、
そんな事が起きていると想像できません。

その歴史的背景から、頭では理解できるのですが、
実際に彼らと触れ合った僕としては、感情がついてこないんです。
彼らの将来はどうなるのか、、観光で経済が成り立っているこれらの町々。
そこに住む彼らが、彼らの観光資源である遺跡や文化財を破壊されてしまうと、
将来、治安が回復・安定しても、その後の生活基盤がなくなります。
それよりも、先ずはこれ以上、犠牲者が出ないことを祈るばかりですが、、
このブログを読まれた皆さんに、
報道されていないシリアについて、少しでも知ってもらえればとの思いです。

10日という短い期間でしたが、
彼らの国を、彼らの優しさやもてなしに包まれながら気ままに旅をさせてもらった思い出は、
目に見えた世界遺産より、彼らの気持ちそのものとして、僕の心に刻まれています。
今、特に治安の乱れが報道されている『ハマ』の町。
ここで食べた(おごってもらった!)ショワルマスーリー(サンドイッチ)は最高でした!
地中海側の町や、ヨルダン(アンマン)にも行ったので、他の写真も、またいつかアップしますね!!



2010年1月、出張中の週末はシチリア島に行きました

パレルモから、バスでカターニャまで移動。
朝、起きると、昨夜降り続いた雨は、嘘のように止んでいました。
バスは、イタリア国鉄のパレルモ駅の裏にあるターミナルから1時間に1本出ています。


途中、バスは、シチリア島のほぼ中央に位置するエンナの町を通過。
エンナは、「シチリアのへそ」と呼ばれる、標高約1000mの山の上にあります。
エンナを眺めながら、3時間弱でカターニャに到着です。


町の中に、普通に遺跡があります。
ほぼ歩いて回れるところに見所は集中しています。


大好きな、アランチーニ!
オレンジ(アランチャ)に似ていることから、
小さなオンレンジ「アランチーニ」と名付けられたそうです。
リゾットがふんだんに詰め込まれたライスコロッケで、ここのものは、
少し高めの設定だけど、さすが元祖と云うだけあって、味は今までの物と違って
洗練されています。つまみ食いのつもりが、歩きながら、ビール片手に食べたら満腹になりました。



国鉄カターニャ駅前の外れに出ていたレモン屋さん。
なんだか、ほのぼのするのは、僕だけ?


BARのおじさん。


シチリア第2の都市と云っても、人口は30万人。
30万人とは思えない、人々の活気ある生活が溢れていました。
この町を歩いて感じるのは、「このカオス(喧騒)は何!?」って云う、まさにアジア!
人波が凄過ぎ、やっと写真が撮れたのは、マーケットが終わってからです。カターニャ満喫しました!!





milanoのsartino氏が、マテーラの画像を送ってきてくれました。
僕が「何度も行く機会を逃している」と言ったから、、
行くまで極力見ないようにしていたけど、、
ついに、、見てしまった。(汗)
ありがとう。(苦笑)
 

渡欧中の週末、シチリアに行きました。
夜も明けぬ5時前、ミラノのホテルを出て、7時過ぎにパレルモ到着。




市内に向かう幹線道路も氾濫状態で、渋滞です。
外を眺めていると、日本でも報道された、ある事件を思い出しました。
シチリアと云うと、ゴッドファーザーのようなマフィアを思い起こす方が多いと思いますが、
1992年、マフィア撲滅のため、精力的に活動をしていたファルコーネ判事が、
パレルモ空港から市内に続く高速道路を160kmで走行中、
道路下に仕掛けられたダイナマイトで、道路ごと吹っ飛ばされました

その3ヵ月後、ファルコーネ判事と共に頑張ってきたボルセリーノ判事も暗殺されたそうです。
それを機に、パレルモ市は両判事の死を悼み、
空港名を「パレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港」と改めたそうです。


そんな事件を思い出しつつ、味気ない新市街を通り過ぎると、
旧市街にあるパレルモ駅前にバスが到着しました。


チェックインまで6時間以上あったのですが、気持ちよく部屋に通して下さいました。




ホテルは18世紀に建てられたシシリアン建築の建物の2階全フロアが利用され、
経営者ご家族も、そこに一緒に住まれています。
天井には、当時のままの壁画が維持され、残されています。




直ぐに部屋を出て、旧市街を歩きました。




旧市街は、イタリア語とアラブ語が併記されています。
実際、アラビア語が聞こえてきたりします




地中海に浮かぶシチリア島は、アフリカ大陸に近く、
一時期(9〜10世紀)アラブ人によって征服されていた時代があり、
その時期に、州都パレルモが発展した、という経緯があるからなのでしょう。




お腹がすいて、地元の人たちが集まるパニーニ屋さんに参戦。
瓶ビール片手に、アンチョビが、た〜っぷり詰まったパニー二は最高でした!





ほろ酔いで海まで歩いて振り返ったところです。




街中をひたすら歩きました。




プレトーリア広場や、その直ぐ北側にあるベッリーニ広場。
オペラで有名なマッシモ劇場は撮り忘れました。




ごく日常的に往来のある、クアットロ・カンティ(四辻と云う意味)





ノルマン王宮の回廊に描かれたモザイクや、
パラティーナ礼拝堂のモザイクの凄さは、画像からは伝わりません。




偶像崇拝が禁止されていたイスラム教ですから、
今から900年もの昔、人々の手で埋め尽くされた金色のモザイクは、
幾何学模様と文字装飾の発達したアラブ風の装飾で、聖書のエピソードが表されています。




至るところにイスラム建築の特徴、玉ねぎが!(笑)





イタリアのサルトは、ナポリばかりか、
フィレンツェやミラノでも、シチリア出身の方が多いのですが、
歩いていて出会った人たちは、ソフィスティケートという言葉からは程遠い、
実に人懐っこい、まるでアラブ人のように感情にストレートな人たち(お節介!)ばかりでした。


10時間も歩き疲れ、
食い意地の張った僕なのですが、
晩ご飯を食べる気力もなく、早めにベッドに入りました。




サルトリア巡礼、第3弾はミラノのサルトです。
ここでは、環境や技術的な部分より興味深かった事があり、
それは後継者育成システムで、熟練の職人を、若手の技術者が取り囲んで、
給料を貰いながら、お客様のお洋服を縫える環境が作られています。
詳しいご解説を頂き、色々なヒントを得ました。
ここでは書ききれない内容で、今後の行動の指針になります。
トリノ出身者をはじめ、4人の若手が縫っておられました。
日本人も1人、職人として仕事に就いておられます。
今回のサルトリア巡礼で会った日本の人たちと話していて、
勇気付けられたり心配になったり、色んな意味で複雑な心境ですが、
日本人が日本以外の国でモノづくりの学んでいる(仕事をしている)事実を、
日本に居る僕たちは、色々な角度から受け止めなくてはならないように思いました。
ここで裁断された生地が、附属と共に、併設の工房に流されます。
フィレンツェとの違いは、
品質の安定を目指して工程を分け、
数名の職人さんで1着の洋服を縫い上げ完成させる事。
フィレンツェが、より人間臭い洋服を目指したモノづくりであるのに対して、
国際都市ミラノが目指す服は、工業製品のような整理整頓された服ではないのですが、
立体的に構築された『手によってしか生み出せない』美しい服です。

改めて紹介しますが、
この傾向はパリに行くと、もっと顕著に現れます。
色々とお手配にご尽力頂いたsartinoさん、どうもありがとうございました。



サルトリア巡礼の第2弾もフィレンツェです。




リズムの良いお喋りに合わせ、リズム良く縫っていらっしゃいました。
お互いの手をチェックしながら(けなしながら!?笑)、
日本とはまた違った楽しい雰囲気の中に、洋服が生まれてくる環境があります。




カッティングに関しても縫製に関しても、
フィレンツェのサルトには、似たような共通点があります。




この著名なサルトでも、モノづくりの環境ばかりか、
技術的な部分まで詳しく見せて頂けて、とても参考になりました。
ただ見たからといって真似る事はできないし、また真似られるものでもないと思います。
だって僕達は日本人。日本の環境で、日本人の手で、、縫うのですから。




技術者同士が他愛もなく、
面白おかしくぶつかり合っている姿が

とても微笑ましく、印象的というか、こういう環境から、
良いものが生まれるんだなって、色々なことを考えさせてもらえました。
楽しい時間の中で、たくさんの気付きを頂きました。皆様、どうもありがとうございました。