久々の海外通信、ナポリ編です!
【2007年1月8日】
今年の年初にナポリに行った時に、
カチョッポリのコジモ氏やアルヴェスティの冨士原氏の取り計らいで、
サルトリアであるラッジョ氏にジャケットをお願いできました。
そこに至る過程は、過去に何度か書いていますので、そちらをご覧下さい。
ラッジョ氏のサルトは、ナポリの目抜通り〝キアイア〟にあります。
ナポリのサルトの多くは路面にはありませんから、
顧客は建物の玄関にあるベルを鳴らして、
中から電磁ロックを開けてもらってから入る事になります。
このスタイルは、マリネッラや、アンナマトッツオもそうであるように、
ブランド店は別として、ナポリの一般的なスタイル。
ちなみに日本人の服好き(買い物好き)が面白いのは、このキアイア通りではなく、
近くのフィランジェリー通りだと思います。(笑)
獲得した賞状の前で!(これは一部です)
ラッジョ氏は、1968年から1973年にかけての5年間、
名サルト、ヴィンチェンツォ・アットリーニと一緒に働いていたそうです。
ヴィンチェンツォと云えば、ロンドンハウスの生みの親、ジェンナーロ・ルビナッチと
ナポリの黄金コンビと云われた伝説のサルト。
ラッジョ氏も、ピーク時には15人の職人を抱えていたそうです。
仮縫の風景です。仮縫の段階で、
初めて見るピニニャティエッロ(pinìgnatiello)という肩の仕上げになっていました。
この仕立ては、彼がヴィンチェンツオ・アットリーニから学んだもので、
今のナポリでは、彼だけが継承しているそうです。
という事は、彼が最後って事ですよね、、
ちなみにこの撮影は、
ブログへも時々書き込んで下さっている、dainojiさんです。
仮縫後、ちょこちょこっと型紙を修正してもらいました。
本来なら、ナポリの採寸は何度かの仮縫をしながら合わせるスタイルですが、
今回はコジモ氏のジャケットが僕の好みにピッタリだったので、
それをベースに型紙を引いてもらったので、
結構スンナリいきました。
70歳を過ぎても、この伊達たちです!
ちなみに、ラッジョ氏に後継者はいません。
彼の息子さんはサルトの仕事に興味を持ってはおらず、
彼の職人も、彼の仕事に対する古い考え方についていきたくなかったそうです。
彼の経営者としての資質の問題か、職人の資質の問題であったのか、
そこまで立ち入っては聞けませんでした。
いずれにせよ、日本ばかりではなく、
手仕事の町、ナポリでも後継者難は深刻なようです。
この問題は洋服業界だけではなく、職人の世界では世界的に深刻な問題です。
長い間、効率と低価格を求め続けた余りに辿り着く先は、、
今からでも遅くはない、そう願って身近に取り組むべき事から始めないと、、