サルトリア巡礼、第3弾はミラノのサルトです。
ここでは、環境や技術的な部分より興味深かった事があり、
それは後継者育成システムで、熟練の職人を、若手の技術者が取り囲んで、
給料を貰いながら、お客様のお洋服を縫える環境が作られています。
詳しいご解説を頂き、色々なヒントを得ました。
ここでは書ききれない内容で、今後の行動の指針になります。
トリノ出身者をはじめ、4人の若手が縫っておられました。
日本人も1人、職人として仕事に就いておられます。
今回のサルトリア巡礼で会った日本の人たちと話していて、
勇気付けられたり心配になったり、色んな意味で複雑な心境ですが、
日本人が日本以外の国でモノづくりの学んでいる(仕事をしている)事実を、
日本に居る僕たちは、色々な角度から受け止めなくてはならないように思いました。
ここで裁断された生地が、附属と共に、併設の工房に流されます。
フィレンツェとの違いは、
品質の安定を目指して工程を分け、
数名の職人さんで1着の洋服を縫い上げ完成させる事。
フィレンツェが、より人間臭い洋服を目指したモノづくりであるのに対して、
国際都市ミラノが目指す服は、工業製品のような整理整頓された服ではないのですが、
立体的に構築された『手によってしか生み出せない』美しい服です。

改めて紹介しますが、
この傾向はパリに行くと、もっと顕著に現れます。
色々とお手配にご尽力頂いたsartinoさん、どうもありがとうございました。



サルトリア巡礼の第2弾もフィレンツェです。




リズムの良いお喋りに合わせ、リズム良く縫っていらっしゃいました。
お互いの手をチェックしながら(けなしながら!?笑)、
日本とはまた違った楽しい雰囲気の中に、洋服が生まれてくる環境があります。




カッティングに関しても縫製に関しても、
フィレンツェのサルトには、似たような共通点があります。




この著名なサルトでも、モノづくりの環境ばかりか、
技術的な部分まで詳しく見せて頂けて、とても参考になりました。
ただ見たからといって真似る事はできないし、また真似られるものでもないと思います。
だって僕達は日本人。日本の環境で、日本人の手で、、縫うのですから。




技術者同士が他愛もなく、
面白おかしくぶつかり合っている姿が

とても微笑ましく、印象的というか、こういう環境から、
良いものが生まれるんだなって、色々なことを考えさせてもらえました。
楽しい時間の中で、たくさんの気付きを頂きました。皆様、どうもありがとうございました。





今年からマーティンソンに2プライが加わりました。
3プライだと目付けが450gもあるので、「真夏は着たくないよ~」
という皆さま方には、こちらの、同じフレスコの2プライ(280g)がお勧めです。
フレスコは1907年にマーティンソンによって商標登録され、
中でも3プライは、僕の中で思い入れがあります
こちらが、その登録商標の現物です。
八ダスフィールドのマーティンソン社を訪れた時、
皆さんに色々と教えて頂きました。
左から、デザイナーのハンナさん、取締役のゴードン氏、営業部長のジェーンさん
1900年代のアーカイブ(過去資料)を見せてもらったのですが、
その中に、確かに3プライフレスコがありました。
何と!100年前の生地見本です。
こちらは現在のフレスコを使ったお洋服で、只今仮縫い着付け待ちです。
出来上がる頃には、ちょうど良い季節になっている予定。
Oさん、3プライの次は2プライを是非!(笑)


サルトリア巡礼第一弾はフィレンツェです。
以前、ジャケットをお願いしたサルトリアで、2度目の訪問です。




イタリアでは当たり前のように、足踏みミシンが使われています。




ウールのコートの裏地にカシミアを使ったり、




笑顔のある環境の中から、どんどん素敵な洋服が生まれるんですね。




カセンティーノに使うファーも、
イタリアでは、型紙から作って「ス・ミズーラ」です。




技術者の中山氏と僕とでは見る観点は違いますが(笑)、
イタリア独特の雰囲気が生まれてくる理由を、技術者として感じてもらえたようです。


ご協力頂いた皆さま貴重なお時間を頂戴しまして、ありがとうございました。
お陰様で、楽しく有意義な時間を過ごさせて頂く事が出来ました。




服育セミナー、今日はTPOについて話す機会を頂きました。
ご出席下さいました先生方をはじめ、
関係者の皆さま、どうもありがとうございました。
略儀ながらこの場をお借りしまして、心から御礼申し上げます。
内容はこちらから → 『第12回 服育ラボ定期セミナー』



ハバナのクエルボ・イ・ソブリノスの1940年代のアンティーク。
Tさんが、数年前に、フランスのクリニャンクールで手に入れられたものです。
そんなTさんが今日オーダー下さったコットンジャケットは、
この時計を腕に巻き、ハバナに行かれる為のお洋服になりそうですね。

今回の海外出張、
フィレンツェ初日9時から、
いきなりですが、プライベートで、
僕のジャケットの中縫をしてもらってきました。




2着目2度目の中縫で、
ほぼ、修正点が何もない状態です。
総裏でお願いしていたのが背抜きになっていたので、
表地に響く(見える)のが嫌で、その部分だけ修正をお願いした程度です。




いつ出来るのか分かりませんが、気長に待ちます。(笑)








かれこれ5年のお付き合いになるTさんは、

もともとトラッド大好きな方で、普段は今でもトラッドです。

しかし、こと仕事着となると、イタリアンなシルエットを好まれるのですが、

今回お渡しのジャケ&パンも、カラーリングは基本に忠実、スポーティーな配色です。





茶は黄色の仲間ですが、その茶に補色であるブルーを組み合わせ、

落ち着いた色合いにも関わらず爽やかに見えるのは、そのコントラストのせいです。

この組み合わせは、イタリア人が大好きな組み合わせ。

イタリア人がお洒落と云われる理由が、このコーディネートそのものです。

1)シルエット感(自分の適正寸法で、ジャストサイズを着る)

2)素材感(ドレープ感や光沢感など)

3)配色テクニック

あとはこれに、Tさんの感性で官能的な「ハズシ」を加えて下されば完璧です♪






それまでの礼装が和装だった日本が、
文明開化と共に、『洋装』に切り替わったのは、
明治天皇が明治5年に発令した洋服勅語が出されてからです。

その10年後、明治14年に作られた、この版画は、
BOITS Classic Academy のTOPページに使っているもの。
着物を着た“若い”職人さんたちが重いアイロンを振り回して洋服を仕立てています。


1年ほど前に東京大学で公開された写真は、明治4年頃の明治天皇の写真で、
洋服勅語が出される直前の事、洋装の西洋人に混じって、日本人は和装の出で立ちでした。

それから130年の日本のめまぐるしい西洋化と
彼らが必死で洋装技術を磨いてきた130年があって今の業界があります。
これからの時代、彼らが築いてきたものを僕達の時代でどうするのかを考えなければなりません。

著作権の問題は業界紙の武田さんに色々とご尽力を頂きました。
当時の発行元の洋装新聞社から、所蔵されていた○○氏に直接コンタクトを取っていただき、
ご了解を得て、使用許可を頂いた経緯があります。




5年ほど前、ナポリ駅前のガリバルディ広場の朝市で、

20ユーロで買った靴があります。底も革で、ちゃんと作られています。



普段履いているジーパンやカーゴパンツに合わせて、

スニーカー代わりに履いているので、底を4度も張り替えました。

流石に革靴をスニーカー代わりに毎日履き続けると、ボロボロになりますね。(汗)



ちょうど今から1年前に頼んでいた靴の、2度目の仮縫。

年末には出来上がる予定なので、今度はこの靴を履いてナポリに行きます。

ナポリの靴から木型を抜き取ってもらいましたので、チャーミングな顔付きは、そっくりです。





お金じゃないんですよね、、

欲しい物を手に入れたいだけですから。