クリーニングで思うこと

30年前に編まれた古着のニットを洗ってみました。
シェットランドWOOLで編まれたフェアアイルのカーディガン(右)です。
手に入れた時ガシガシしていたので、家で手洗(釦穴は鹿革!)すると化学薬品の臭いが、、

倒れそうになりました。
その後も、しばらく気分が悪くて、、

3回ほど連続して、手洗いを続けたのですが、
今度は手がガシガシ!手の脂分までなくなってきたようです。
洗っているお湯が真っ黒けの状態から、ある程度まで綺麗になった時点で、
今度は柔軟仕上げ剤に漬けてみると、、最初と比べると随分と『ふんわり』したようです。
お湯のニオイや汚れの分だけ溶剤が残留していた衣類を着るかと思うと、ちょっと怖いものがあります。
これで気持ちよく袖を通せるようになりました。
こんな事があって思い出したのですが、
以前(10年程前)、マッセアトゥーラで買って頂いたスーツを
安心してクリーニングに出して頂けるお店を探していた時、ある技術者と出会いました。
そのお店は、いったんドライクリーニングをしたあと、
そのドライ溶剤を抜くために、さらに染み抜き工程を加えていました。
聞くと、それは特別な事ではなく、「私は、当たり前の事を今でも変わらず続けているだけです。」と。
その技術者は褒章を貰われている方で、その方が輩出した技術者も多いようです。

当たり前の事を当たり前に続ける、、
利益至上主義に向かうあまり、それが出来てない、、
それが悪いとは言えないけれど、引き換えに何を失っているのか、、
そこまで考えないと、きっと取り返しのつかない方向に向かってゆくのでしょうね。
だって消費者は技術者ではないのだから、
伝えるべき事を伝えないと、大部分は安価なモノに流れると思います。
意味もなく人の手をかける必要はありませんが、技術をお金に換える努力をせずして、
売れる方向(安くする)に舵取りをするだけでは
技術は残らないと思います。