明治5年11月12日
太政官布告-第399号
爾今礼服ニハ洋服ヲ採用ス

今日は139回目の『洋服記念日』です。

マイスターファクトリーの2年目のカリキュラムとしてスタートしたプロジェクトが1つ実現し、
神戸の『EIN SHOP』の店頭にマイスターファクトリー製のシャツが並びました。

アインショップは自社デザインの生地を使ったバッグやオリジナル雑貨を
販売されるお店で、デザインルームは兵庫県播磨町にあります。

関西に5店舗を展開されるお洒落でかわいいお店ですが、
Web店舗も運営されていて、そちらも人気があり、
その顧客層は、全国規模で広がっています。

その『EIN SHOP』のオーナーである岡本篤さん、岡本亮さんが、
マイスターファクトリーの運営方針に共感して下さり、
今回のシャツプロジェクトが実現しました。


手仕事の贅沢をあなたに・・・
今後、このプロジェクトがどんどん広がり、
日本から、「手仕事」がなくならない環境作りを目指して、、


神戸元町店の入り口正面に並べて下さっています。
良い意味でオーダーの敷居が下がって、皆さまに楽しんで頂ける事を願っています。




関西のテーラーをはじめとする
有志団体『Boits Classic Academy』主催の
クセ取りセミナーを開催しました。講師は敦賀の『テーラー吉田』の
吉田大輔氏(ライムグリーンのパンツにライラックのシャツを着ている人!)です。

「クセとり」の技術は、
メンズスーツを仕立てる時に必要不可欠な技術です。
アイロンの熱と蒸気により、生地目を歪ませ、平面の生地を立体にします。
パンツの後身を教材にして、実演を見ていただき、受講者の皆さんに体験して頂きました。

講習生の皆さんは、九州や関東方面からもご参加頂き、吉田講師も熱のこもった講習会になりました。
熱がこもりすぎ、終わってから吉田講師が熱を出す落ちまでありました。(笑)
今後も、様々な技術講習会が開けるよう、活動を続けます。
次回は事前にご紹介させて頂きます。




以前、einshopさんの活動を、この場でお伝えしました
共感して下さった皆さんから、熱いご声援と共に義援金を頂きました。
それに、einshopさんのサイトを多方面にご紹介下さった方もいらっしゃいます。

本当に本当にありがとうございます。
この場をお借りして、皆さまに御礼申し上げます。
現在、皆さまから146,000円の義援金をお預かりしています。
今後も引き続き受け付けておりますので、皆さまからのご支援を宜しくお願い致します。

現在、岡本さんは単独で被災地を訪れ、
今後の支援活動が、被災地で必要とされる活動となるよう、
現地のニーズを探った上で、5~6月に改めて皆さまからお預かりした義援金を
有意義なカタチでお届けして下さる予定です。

支援に勿論お金も大切ですが、まず「思い」があってのことだと思っています。
お金がなくても、思いさえあれば出来る活動もあると思います。
共感できる活動を広めることも、大切な支援活動。
出来る事を出来る範囲で活動する。

大阪のおばちゃんの「口コミ」をイメージして頂ければ分かると思います。
おばちゃん1人では、使えるお金は限られていますが、
あの「口コミ」は無限に広がってゆきます。

支援活動は今だけのことではなく、今後も数年に渡って必要になるでしょう。
僕のこの書き込みも、大阪のおばちゃんの「口コミ」のように、
少しでも広がっていってくれればと思っています。


2度目の仮縫補正後の衣装が、パリから戻ってきました






先週末、マイスターファクトリーの午前中の授業を終え、
生徒さんたちと、京都の一澤信三郎帆布さんの工房見学に伺いました。
作るものは違っても、モノづくりの姿勢として学ばせて頂ける点がとても多かったです。


温もりのあるモノづくりへの姿勢や環境が、
そのまま信三郎帆布のかばんに現れているなと感じました。
いつも信三郎社長がおっしゃる、「自分らの器があるさかいなぁ」という言葉、
今回の訪問で、その本当の意味が分かった気がします。




昔と変わらぬクオリティーで、今も作り続けられる信三郎帆布製品。
初めて買った30年近く前のかばんを引っ張り出してきて見たのですが、今と同じです。
世界の名だたるブランドのモノづくりは時代の流れに逆らえず、
どんどん品質が落ち、昔と同じようなモノづくりが出来ない状況になっています。
昔と今の製品を見比べれば、それは一目瞭然です。


物を作るには、まず職人さんを確保しなければなりません。
職人の育成をしないと、技術は継承されません。
技術で良い物が作れても、売れないと、
何ひとつ、始まりません。




単純なように思えることばかりですが、
これら全てを、同時進行させるって大変なことです。
工房見学を終え、その環境が出来上がっていることを目の当たりにし、
信三郎社長のモノづくりに対する姿勢、強い精神力の賜物ではないかと思いました。
信三郎社長をはじめ、工房の皆さま、
本日は長時間に渡って、どうもありがとうございました!





この画像は、僕のジャケットです。
何度か洗っていくうちに、どんどん表情が変わります。
ご注文頂いた方も、「どんどん愛着が湧きますね!」と喜んで下さいます。






京都の中心部を流れる高瀬川沿いに建つタイムズビル
水を生かした京都らしい設計で、今ではすっかり風景に馴染んでいますが、
高瀬川の水位とビルの床面が近すぎて、申請時は行政とスッタモンダあったそうです。




帰り道、鴨川には納涼床が出ていました。
これも水を生かした京都の建築と言えるのでしょうか?(笑)

川床は夏を感じさせてくれる京都の風物詩ですが、見た目とは違って正直暑いです!








今年も、パリから風が吹きます

1回目の仮縫補正後の衣装が、パリから戻ってきました。







それまでの礼装が和装だった日本が、
文明開化と共に、『洋装』に切り替わったのは、
明治天皇が明治5年に発令した洋服勅語が出されてからです。

その10年後、明治14年に作られた、この版画は、
BOITS Classic Academy のTOPページに使っているもの。
着物を着た“若い”職人さんたちが重いアイロンを振り回して洋服を仕立てています。


1年ほど前に東京大学で公開された写真は、明治4年頃の明治天皇の写真で、
洋服勅語が出される直前の事、洋装の西洋人に混じって、日本人は和装の出で立ちでした。

それから130年の日本のめまぐるしい西洋化と
彼らが必死で洋装技術を磨いてきた130年があって今の業界があります。
これからの時代、彼らが築いてきたものを僕達の時代でどうするのかを考えなければなりません。

著作権の問題は業界紙の武田さんに色々とご尽力を頂きました。
当時の発行元の洋装新聞社から、所蔵されていた○○氏に直接コンタクトを取っていただき、
ご了解を得て、使用許可を頂いた経緯があります。




とあるデニム工房に打ち合わせに伺った際、思わぬ洋服に出会いました。

それは、旧・大日本帝国陸軍将校の将校クラブの制服です。

かなりの部分が手に針を持って縫われています。





既製服が台頭してきたのは1970年頃で、

それまで、既製服が占める割合は50%に満たず、

時代背景を考てみれば、当たり前のことかもしれませんが、

制服でありながら手縫いとは、今だと「なんて贅沢な!」って感じです。

↓ 手縫い感、てんこ盛りのパンツです!





縫い付けられていたタグです。この洋服は、

足袋の仕立てをされていらっしゃった方が縫われたそうです。

着物文化の日本では、洋服が入ってきた当時は足袋職人が起用されたと聞きます。

着物は直線縫いですが、足袋は曲線、「なるほど~」って感じでしょ。(笑)





1972年に

VAN等の出資によって

ラングラージャパンが設立され、

その時に初めて売り出されたGジャンです。