2001年の夏に、僕はイランに行きました。
フセイン政権が崩壊(2003年4月)する前の事ですから、
個人旅行が誰かに迷惑をかける事になるなんて、全く考えませんでした。

ただ僕は、未知で神秘的な感じがする国だって云うだけでイランに向かいました。
どんな国なのか、実際に自分の眼で確かめてみたい、、

最近のニュースを見るたびに、イランで出逢った人たちのことを思い出します。

タクシーに乗り、行き先を〝レストラン〟だと伝えると、
我が家に来て、俺の家族と一緒に晩ご飯を食べないか?なんて誘われ、
食べきれない料理や果物を出してくれ、お土産まで持たせてホテルまで送り届けてくれたり、

週末の夜、河原を歩いていると、
ナイトピクニックを楽しむ家族連れから呼び止められ、
これでもかというほどサンドイッチを振舞ってくれた上に、お土産まで、、
・・・イランでは、週末になると家族総出でナイトピクニックを楽しむ習慣があるようです。

また、大きなリュックを背負って歩いていると、
車を止めて呼び止められ、目的地まで乗せてってくれたり、、

彼らの国を旅していると、こんな事は日常茶飯事のように起こります。
ですから、ニュースでイランの事が報道されるたびに、そんな彼らの事を思い出し、
思い出とのギャップに複雑な気持ちになるんですよね。

日本では、凶悪な犯罪を報道で知っても、
僕たちの生活は大きく何かが変わるわけではありません。
しかしそれがイランの報道となると、彼らの普通の生活を知る由もなく、
その報道だけが、イランと云う国のイメージとなって植えつけられてしまうと思うのです。

7年前のイランのイメージが崩れようとしている自分と、
7年前の彼らの優しさや笑顔を忘れたくない自分との葛藤に、複雑な思いが募ります。

今まで行った外国で、最も人の優しさに触れる事ができたのがイランです。
願わくば、もう一度あの時の思い出を確かめに行ける日を楽しみに、、

イスファハンにあるスイオセ橋周辺に広がる公園では、皆んなピクニックをしています。
これが夜になると、凄い数になるんです。
この家族も20人くらいの大所帯でやってきてました。
晩ご飯を食べた後(21時頃)でしたが、いっぱい食べさせてくれました。(苦笑)
画像の左下に、サンドイッチにする前のパンがあるでしょ!(笑)
シラーズにある、サァディー廟です。
中東からアフリカ、インドなどを放浪した抒情派詩人、サァディーが眠っています。
季節的にか、至るところで花が咲き乱れていました。
同じVESPA(PX200)に乗ってるって言うと、「乗れ乗れ!」と言って勧めてくれた少年。
それにしても熱い! 吸汗速乾に優れたノースフェイスのTシャツが、
汗を掻いた瞬間に乾くくらい、、ヘロヘロです。。
歩道でサッカーをしていた人たちに写真を撮ってくれと言われ、
すると、何故か近くを走っていたおじさんが寄ってきて、俺も撮ってくれ!って。(笑)
どうですか?すごく緑が多いでしょ!
対面道路の間には、こんな大きな歩道があるんです。
イスファハンからシラーズに向かう長距離バスに一緒に乗った人たち。
バスに乗る前にピクニック?してたのですが、
ここでも、またまたサンドイッチを振舞ってもらいました。(苦!)
あるイラン人家庭に招かれた際の1コマです。
この家族、めちゃくちゃファンキーで明るい皆さんでした。
おじいちゃんおばあちゃんと、その2人の娘さんと、その家族が一緒に住んでいる
大家族で、みんな仲良しでした。
ここでも食べ切れんばかりのサンドイッチと果物を出してもらいました。
ちなみに、イランは真水が飲める国なんです!(驚)
街のいたるところで水が飲めるので、皆んなMyカップ持ってます。
思い出の時間を過ごさせてくれた彼らへのお礼として、
日本で殆ど紹介されてない彼らの素敵な一面を知ってもらえれば、、
これはこれで、イランの1つの素顔であることが分かってもらえると嬉しいです。



当初の出張予定では、アイルランドのベルファウストにある
アイリッシュ・リネンのミル、スペンスブライソンへの訪問予定だったのですが、
急にキャンセルになり、飛行機の乗り継ぎの関係で、急遽、週末をバルセロナで過ごす事になりました。
出国前の2夜は、この手配のために、寝させてもらえませんでした(汗。
そんな事はさておき、、良かったですよ、バルセロナ。

アントニ・ガウディが残した建築物を直に見ることを通じて、
彼が何を見て、何を考えて仕事をしてきたのか。その結果、なぜそのような形が生まれてきたのか?
彼の、仕事に対する、執拗なまでの情熱を全身全霊に浴びさせてもらいました。

感動的な音楽を聴くと、何故か涙が出る、、
そんな経験をされたという方もいらっしゃると思いますが、
それと同じように、僕もガウディの建築物を見ながら、何度も涙が浮かびました。

スペイン生まれのピカソがパリに移るまでの、まさに青年期を過ごした街もバルセロナです。
ガウディにしろピカソにしろ、ちまたでは奇人変人扱いされる彼らですが、
実際にガウディの建築物や、ピカソのデッサン画を見れば、
驚くほどの基礎力に納得せざるを得ないハズです。
ピカソ美術館といい、今回突然降って湧いたバルセロナでの滞在は、
感動の連続、かなり感動的でした。

詳しくは、後日あらためてこのダイアリーでお伝えするとして、
それではた~っぷり、、画像を見て下さい!

カーサ・ミラ(世界遺産)   ※カーサ(CASA):住宅
パルク・グエル(世界遺産)  ※パルク(PARC):公園
カーサ・バトリョ(世界遺産)
サグラダ・ファミリア(世界遺産)日本語では聖家族教会
コロニアグエル教会地下聖堂(世界遺産)
コロニアグエルの町並み(世界遺産)
カタルーニャ音楽堂(世界遺産) ※これはガウディの作品ではありません。
世界遺産的な!洒落た〝シルエット〟ディスプレイです。
さすが!芸術の街、バルセロナですね!
ちなみに、バルセロナを州都とするカタルーニャ地方は、
マドリッドを州都とするカスティージャ地方とは全く異なる伝統と文化を持っています。
カスティージャに対する対抗心はとても強く、
フランコ政権下、カタルーニャ語の使用が禁じられていた時代でも、
カタルーニャ人たちは、密かにその言語を伝えてきたそうです。それを証拠に、
今でもカタルーニャ地方では、スペイン語とカタルーニャ語が並記され、使われています。
誇り高きカタルーニャ人だからこそ、
独自の文化・芸術を生んだのではないでしょうか?
ご記憶の方もいらっしゃるかと思いますが、スペインのマーチャント、
独特のコレクションを誇る〝Gim Tex〟ジムテックスへの訪問は無理でした。(苦笑)



ミラノでの初日は、楽しみにしていたミラノウニカの初日です。

ミラノウニカはイタリアの総合見本市で、2年ほど前に、

元々別に開催されていた次の5つの見本市が1つに集約されたものです。

 ・ Idea Biella  (紳士用の高級ウール地)

 ・ Idea Como (婦人用の高級シルク地)

 ・ Prato EXPO (プラート産地の服地)

 ・ Moda In    (付属品と各種テキスタイル)

 ・ Shirt Avenew(高級シャツ地)



この中でも、今回行きたかったIdea Biella(イデアビエッラ)は、

羅紗屋さん(アパレルやテーラーが生地を仕入れるところ)が行くような展示会。

ですから、僕たちテーラーは入場できませんし、それに、

羅紗屋さんでも、規模によっては入れないという敷居の高い展示会です。





にもかかわらず、今回は取引先の羅紗屋さんが到着される前、

大切なバイヤーパスをお借りできましたので、そぉ~っと潜入してきました。(笑)





そんな〝命懸けの真剣なバイイング〟の現場なのに、

興味本位でノコノコ参加してごめんなさい。





でも、僕たちの手元に届く生地が、どんな風にしてやってくるのか、

聞いてばかりではなく、見ておきたかったのです。





ここはアパレルメーカーが、来季はどんな服を、どんな生地で作るかを検討する場です。

そこで検討された生地の見本を持ち帰って、全体を見渡しながら再検討し、

最終、決定した生地だけをメーカーに発注する事になります。



そして、その生地を使って作られた洋服たちが、

1年後の同シーズンに店頭に並び、僕たちの手元に届けられます。

もしくは1年後に、僕たちテーラーの手元に届くわけです。



ということは、生地メーカーは、

1年先、製品になって販売される洋服を想定して、

生地を企画してるって事になりますね。



洋服地の見本市〝イデアヴィエラ〟と同様、

シャツ地の見本市〝シャツアヴェニュー〟も開催されています。





各メーカーのバイヤーが、イメージしやすいようにと?

各生地のイメージに合ったシャツに仕立て上げたメーカーもあります。





朝から晩まで1日歩き回って、巨大な会場を後にしました。

今回、色々とご尽力下さったKさん、そしてJさん、本当にありがとうございました!








本当に色々ありましたが(笑)、今回も充実した旅となり、今日帰国しました!
アイルランド行きが、諸事情によって急にキャンセルとなってしまい、
その分、思ってもみなかった先に寄せて頂けたり、
はたまた飛行機のフライトの関係でバルセロナに立ち寄ったり、
これまた日付を越えた深夜のリバプール空港に到着し、そのまま空港で寝たり、、
そんな中で、残念ながら叶わなかった訪問先は、次回の楽しみに取っておく事にします。
という事で、長い間お休みを頂き、ありがとうございました。
また今回の訪問に際し、お世話になった皆さまに御礼申し上げます。
その模様は追々お伝えしますが、先に訪問先の中から数枚ピクアップさせて頂きます。

Edwin Woodhouse (英国|ヨークシャー州リーズ)
右が共同経営者のジョン・ゴント氏、左が営業担当のジョナサン・スペンサー氏です。
acorn (英国|ランカシャー州ネルソン)
*acornの経営者、チャトバーン家
左から長男クリス氏、ジョン・チャトバーン氏、次男ジョージ氏
Martin Sons&Co,Ltd. (英国|ヨークシャー州八ダスフィールド>
左から営業企画デザイナーのハンナさん、マネージングディレクターのゴードン氏、
そして、セールスディレクターのジェーンさん
Bateman Ogden (英国|ヨークシャー州ブラッドフォード)
右が、自らこだわりの生地バンチサンプルを編集する社長、コリンズ氏。
*William Bill (英国|ロンドン)
ツイードのスーツにカシミアのネクタイ姿。
カントリージェントルマン的な着こなしには、年季が入った貫禄を感じます。
昨年のドネガル行きが実現したのは、この方のお陰でした。
*William Bill の織りネーム
*william Billのオフィスに掛けてあった仮縫い中のアイリッシュリネンのジャケットは、ヘンリープール製。
どうやら社長用みたいです。(笑)


パリのシャンゼリゼ大通りで見た完全防寒装備されたベスパ。

若いパリジェンヌが乗って去ってゆきました。

それにしても、ちょいイカツイです。





イタリアとスイスの国境、スイス側の町ルガーノにて。

イタリアやフランスじゃ実用車として乗られている事の多いスクーターが、

ここでは、どれもレーサーレプリカ!(笑)







ミラノで見るスクーターより、確実に派手だし、

それに何といっても、綺麗にお手入れがされていますね!(笑)





国が変われば、事情もこれだけ変わるんですね。(笑)





コレ、おまけです、、ミラノの街角でみたビアンキの自転車。

チェレステグリーンの車体のヤレ具合が雰囲気♪










これまで、僕がヨーロッパに行った時に撮り貯めたスクーター中から、

今日は、ナポリの街中で見たベスパを紹介します。



意外にも、整然と路駐されています。(笑)





水色のプリマヴェーラET3が、僕が以前乗っていた車体。

そして、後ろのラージボディーも、以前僕が乗っていたRALLYと

同じ車体です。(これは125gtrですが、、)
日本じゃ結構な値段がつきますが、ナポリじゃ、あちこちで普通に見ます。





最新の200gtsですが、既にボロボ、、いや、味が出てますよね。(笑)

ちなみに、スパッカナポリ地区で見た風景です。





この車体が、僕が今、乗っている新しいタイプで、

それでも30年経っているモデルです。

この風景は、世界遺産にもなっているエルコラーノ遺跡前のリストランテです。





これだけ、、どこだったか忘れました。(苦笑)

大型ホイール車輌が多いので、もしかしたらフィレンツェかも。










【2007年1月16~17日】

ブライアン氏とFさんと共に昼食を摂ってから、ホーランド&シェリーの総本山へ!
この繊細でエレガントなヴィクトリアン様式の建物も、
100年以上経っているそうです。
廊下に書かれたメモ書き、、
ミーティングルームのブライアン氏。
このミーティングルームは、わざと建物の北側に作られ、
変化のある南側の明かりではなく、北側の安定した明るさを取り入れてくれます。
来シーズンのサンプルです。
この中からセレクトされた生地がバンチとなって、
この、英国にあるピーブルスの町から、皆さまのお手元に届けられるのです。
希望の生地を伝えると、ブライアン氏が探してくれました。
まずは、バンチSAMPLEを作っている現場です。
ホーランド&シェリー社では、自社でバンチを作成しています。
以前は外注だったそうですが、あらゆる面において、自社作成にメリットがあるとか。
ホーランド&シェリーグループが抱えるネームとしては、
日本には3銘柄が入っています。(ホーランドシェリーNAME、ジョンクーパーNAME、
そして、マッセアトゥーラで取り扱っているインネスチャンバースNAME)
ほら、まるで印刷屋さんです。(笑)
バンチに綴じられている生地は、全て品番ごとにストックされています。
オーダーが入ると、こうしてカットされます。
カットされた生地は重量が測られ、明細と共にまとめられ、
出荷先(各国の代理店)ごとに梱包されます。
時差があるので、1日中フル稼働です。
日本の窓口はこの女性、ジャネット・ブラウンさん。
日本からのオーダーは全て彼女が処理し、彼女の指示で現場が動きます。
残念ながらこの後、彼女は2007年3月でリタイアされ、現在の担当は、男性に変わっています。
またいずれ、ご紹介できればと思っています。
過去のサンプルは、アーカイブとして全てストックされています。
右から極東担当マネージャー、ブライアン氏
ホーランドシェリー社チェアーマン(会長)、チャールズ・スチュワート氏。
この時は痩せていたのですが、何故かパンパンの僕。(爆)

そして、、ヘンリープールのMDを40年近く務めているFさん(以前の会社の大先輩です)
僕だけこんな格好で、ごめんなさいっ!
夜は、ブライアンの奥様もご一緒に食事を楽しみました。
日本だと、仕事に奥様もご一緒になんて事は少ないと思うのですが、、素敵ですよね。
ほんっと、楽しくて知的な奥様でした。
典型的なスコティッシュパブです。
アイリッシュパブとの違いが分からなかったので聞くと、
アイリッシュは、もっとごちゃごちゃしてるとか、、そんなもんなんですね(笑。
ホント、それが理由ですか?(爆)
散々飲んだ翌早朝、夜も覚めやらぬ間にホテルを出て、
世界遺産の街エジンバラを素通りして(涙)、激安キャリアEasyJetで、ロンドンのホテルへと戻りました。
これで、年始の2週間に渡る遠征報告は終わりです。
1年越しでしたね、、ごめんなさい。
こうして自分と関わりを持ってもらっている現場を見ておくと、
ただ単に、生地が手元に届いたり、頼んだ仕事が出来上がってきたりするだけではなく、
日々、全てを見渡せているような気持ちで仕事ができるから楽しいですね。お世話になった皆さん、ありがとうございました!



【2007年1月16~17日】



昨夜は、ロンドン郊外のスタンステッド空港脇のホテルに深夜のチェックインをし、

今朝は今朝で、夜が明ける前にスタンステッドにチェックイン!

そして、早朝にスコットランドのグラスゴーに到着。

※ちなみに、この空港は、僕の友人の奥さんのお父さんが初代社長を務めたそうです。





空港には、ホーランド&シェリーの方が出迎えて下さり、

さながらラリードライバーの如く、ピーブルスに向かって車を飛ばされました。

聞くところによると、こちらの人は皆さん、、

ぶっ飛ばされるようです。(苦笑)



ホーランド&シェリー本社のあるピーブルスを

目前に控えたところで、ツイード(Tweed)川を撮影しました。

これがツイード川です、、永年の夢だっただけに感慨深いものがありますね。





ちなみにツイードという名前ですが、

ツイード川流域で織られる生地だから、その名前がついたと思っていたのですが、

ホーランド&シェリーのブライアン氏から聞いた話だと、

綾織〝Twill〟のことを、スコットランドでは〝Tweel〟と書くそうですが、

それをロンドンの、某ウールンマーチャント(毛織物商社)が、

最後の〝l〟を〝d〝と間違えたせいで、Tweedと呼ばれるようになったそうです。



眼下に見えるのがピーブルスの町です。

羊の数はマダラですが、

シーズンになると、この牧草地が一面真っ白になるそうです。





ツイード川に架かった橋を渡って、ピーブルスの町へ、、





ここが、今夜のホテルです。

築150年以上の時を経て、趣深い雰囲気でした。





ホテルで少し休み、ブライアンが迎えに来てくれました。

Tweed川のほとりを、色々(沢山!)質問しながら、散歩しました。

画像は、ブライアン(右)と、ヘンリープールのMDを40年近く務めているFさんです。





ピーブルスの町の唯一の繁華街?ピーブルス銀座だそうです。(笑)





ツイード川と並流するこの川こそ、むしろこちらがメインで、

かつてピーブルスが栄華を極めた時代に機屋が集まっていたそうです。





どの建物を見ても味わい深いですね。

長い年月をかけて手入れされ、濃厚な表情になっています。





次回は、いよいよ、ホーランド&シェリーへ侵入です。








【2007年1月15日】

朝から〝湯ったり〟とバスタブにつかり、ラウンジでゆったりと朝食を楽しみ、
そんなご機嫌な朝で迎えたドネガルの1日。
ホテルまで、Mageeのスタッフが迎えに来て下さいました。
Magee本社までは車で10分程の距離、ドネガルの街の外れにあります。
本社は大きく分けて3つの建物、
デザイン・サンプル棟、織り棟、洗い棟に分かれています。

名刺交換の後、色々と質問を受けました。
ドネガルツイードについてどう思うか、年間の取扱量はどれくらいか、
どういう経緯で今日の見学に至ったのか、僕が並べる英単語で伝えるのは大変でした。

今回は英国のヘンリープールが取り扱っているロンドンの某羅紗屋さんと取引のある、
日本の某羅紗屋さんのアテンド、という複雑なルートで実現しました。

まずはデザインルームです。
シーズンの傾向を読みながら、
テキスタイルデザイナーがたくさんのサンプルを作り、指図書を作ります。
その指示書を元に、見本反が織られるのですが、
ここでもデザイナーと技術者の間で、入念な打ち合わせが行なわれています。
過去の生地は全て保管され、いつかの時には参考にされるそうです。
そう、ファッションは繰り返されますからね!(笑)
使う糸は全て外注しているそうですが、
それも全てデザイナーの指示で別注されているので、
マギーのツイードは、完全オリジナルという事になります。
こうして、多くの糸が品番によって管理され、ストックされています。
現在、工場にある織機はレピア織機とズルツァー(スルザー)織機だけだそうです。
※レピア織機=シャトル織機  ※ズルツァー織機=シャトルレス織機 やはり効率を考え、このレピア織機も、もうすぐ入れ替えるとか、、
効率を求めると品質が落ちないか?と聞くと、
織り出してからのスピードを変えないよう調整するので、
それまでの準備や故障して作業を中断したりするロスを減らすことで、
全体のスピードを上げて効率化を図るだけだから、「安心しろ!」と笑われました。

その後、洗いと
乾燥プレス工程へと作業が進み、
最後に検品されて完成です。この流れの中でも、
最近では、フィニッシング(整理工程)は外注する所が多くなっています。
途中の行程で、このブラシで起毛したり、他にも
細々とした工程もありますが、大まかには、こんな流れとなります。
大きな流れは、ツイード(紡毛)もウーステッド(梳毛)も同じような感じです。
ちなみにこのブラシ(起毛機)、昔は一般的に本物のアザミの実が使われていたと聞きます。
今でもフカキ毛織のカシミア最高ランクや、ビキューナ、グアナコの高級素材には使われているそうです。
みなさん作業中にも関わらず、本当に気持ちよくニコヤカにご対応下さいました。
手を止めて直接ご説明下さった方も何人かいらした程です。
感謝です、申し訳ありませんでした(汗)。

その後、15人ほど残るハンドウーヴン(手織り)のウィーバーのところへ連れて行って下さいました。

ここは工場の中にあるのではなく、
Mageeが契約したウィーバーの自宅で織られるそうです。
今回お邪魔したウィーバーも、40年近く織機を踏んでいらっしゃるそうです。
最も若い職人さんで30過ぎの方もいらっしゃるそうですが、
彼は特殊で、彼を除いて、ウィーバーの平均年齢は60歳を過ぎているそうです。
ここでも後継者問題は深刻そうでした。

シンングル巾(75cm)の織物を1反(約50m)織るのに25時間程かかるそうで、
これはダブル巾(150cm)に換算すると50時間かかる事になります。
低速シャトル織機で織れば2日で1反強ですから約6倍。
高速シャトルレス織機と比べると、約14倍です。
画像の左にあるキャタピラーのような連続プレートが、
緯糸の打込みを指示するパンチカード(デザインプレート)です。
これによって木製シャトルが緯(横)方向に走りながら、緯糸を1本1本打ち込んでゆきます。
Mageeでも、複雑な柄や手の温もりを重視した生地だけが
彼等の手によって織られるようです。
画像でボケてる部分が、上の画像の木製シャトルが走ってるところです。
足の動く速度より早いので、足よりもボケて見えてますね!(笑)
ツイードの中でもカラーネップの効いたチャーミングな表情がドネガルツイードの特徴ですが、
それも北の最果てのこんな小さな工房で、彼らが1反1反、織り上げているのです。
ほらね!
昼から急に雨が降り始めたのですが、
大西洋沿いの海岸線に連れていってもらいました。
最果てらしい雰囲気が、この雨のせいで余計に漂ってました。
本当なら見所が沢山あるので見て回りたいところですが、今回はそこだけ、、
それでも、どのような環境の中、どのような場所で織られているのか、
それが垣間見れただけでも良かったです。
画像は撮り忘れてました、、

今回の機会は、本当に沢山の方に支えられて実現したものです。
皆さん、ほんとうにありがとうございました。
そして、洋服好きの皆さん、ドネガルツイードを宜しくお願い致します。(笑)




今日フィレンツェのサルトから、僕のジャケットが届きました。

僕が伝えたのは、衿形をオールドフィオレンティーナSTYLEでお願いしただけ。

で、出来上がったのがこのスタイルです。

何とも、、味わい深い雰囲気を醸していますね。





とても綺麗なゴージラインの衿です。

生地はジャンニ氏の秘蔵ストック、ドラッパーズのヴィンテージ、

かなり派手に散りばめられたドネガルツイードです。

写真では判りませんが、10色くらいのカラーネップが入っています。





この状態が、着てみると綺麗に納まるんですから、

ホント手縫いの洋服って不思議です。

ってゆーか、僕の体が歪んでる!?(苦笑)





どんな顔つきに変わってゆくのか、手縫い服の醍醐味です。

この服は未だ未完成、、着込んで自分の僕の服に色付けしてゆきますね!